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2013年10月11日 (金)

がまだすドームへ行ったYO! その3

2013年長崎ドライブ 23

更に館内を見学していると・・・平成大噴火シアターで映像が始まります。とのアナウンス。シアターに行くと直径14㍍のパノラマスクリーンと動く床(熱風の吹き出し口つき)で普賢岳の大火砕流が疑似体験できます。

↑参考映像

シアターを出ると廃墟の街が・・・

Cimg1909

実際に火砕流で被災した街を再現。資料が展示してあります。

Cimg1910_2 Cimg1911

マスコミのTVカメラや望遠レンズも熱にやられていました。

Cimg1912ジープには・・・

当時、災害支援で派遣された自衛隊が撮影した映像を見ることができます。

一通り展示に目を通し・・・2階へ向かうスロープへ・・・いくつかの溶岩が展示してあります。

Cimg1913左の草が生えている溶岩は

およそ200年前、島原大変で流出した溶岩だそうです。

その他の白い溶岩は・・・Cimg1916

平成大噴火で流出した溶岩で、溶岩ドームの位置によって泡が多く存在するそうです。

2階へあがると・・・

Cimg1918

TV映像を流していました・・・

Cimg1917_2 Cimg1919_2

(左)被災カメラ この被災カメラは、1991年6月3日午後4時8分 大火砕流の犠牲となった小村幸司カメラマン(日本テレビ所属)が使用していたものです。災害から14年経過した2005年6月に北上木場の高台付近で発見されました。カメラは火砕流の熱で焼けていましたが復元されたテープには、大火砕流の様子が映っていました。(案内板より)

(右)復元された映像 ↓まさにこの映像

Cimg1921通路を通って・・・

広場へ・・・

Cimg1922

こうやって見ると、今は嘘みたいに穏やかです。

実は私の両親は島原出身で、母方の祖母が深江町に住んでいました。普賢岳が噴火を始めた頃、一度バイクで訪れた事がありましたが、街中火山灰でピンクに霞んで見えていたのを覚えています。後に・・・祖母は福岡の私の家に避難し・・・その直後に大火砕流が起こりました。祖母の家は運良く火砕流に飲まれませんでしたが、ほんの数百メートル先の集落は被害にあった様です。

つづく

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コメント

あれからもう22年ですか・・・あの映像は衝撃的だったです。改めて自然の力を見せつけられました。おばちゃん、避難した後でよかったですね。

>いそかぜさん
ホント時がたつのは早いですね。
当時、婆様は深江町で独りで暮らしだったので心配でした。
しかし・・・無事、我が家に避難してきた当日、畳で滑って骨折して・・・福岡に来て良かったんだか悪かったんだか・・・(汗)

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