仏像盗難など、何かと話題の長崎県対馬。百聞は一見にしかず・・・という事で行ってみると・・・滞在中、船酔いを引きずって気分がすぐれませんでしたが、素晴らしい自然と歴史ある街に感動しました。
色々問題のあると言う韓国人観光客も、私が見る限り、重大なマナー違反は見当たらず、許容範囲内。確かに食堂などで大声で話していましたが、一番近いとは言え海外旅行にきている彼ら・・・テンションが上がるのも仕方ないでしょう。
やっぱりこの状況を変えたいと思うなら・・・一人でも多くの日本人が対馬を訪れ、観光するしかないでしょうね・・・
みんな!対馬へ行こう!
・・・等と思っていた矢先・・・mixiでこんな記事がチェックされていました。
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対馬島で開かれた対馬島取り戻すセミナー話題
11月9日、慶一(キョンイル)大学校大学院地籍学専攻対馬島探査団の主催で対馬島(テマド)で‘対馬島地籍および領土研究’という異色セミナーが開かれた。この席には慶一大学校大学院地籍学専攻の学生以外にも領土と地籍学に対する情熱と愛を持つ18人が参加した。
この日のテーマ発表で文化領土論をテーマに著作と講演をするシン・ウンウ(小説家・博士2学期)は「歪曲された日本教科書の任那に関する考察」、 「文化的アプローチによる対馬島の領土根拠研究」という二編の論文を通じて「‘任那日本府’という用語自体が日本によって捏造されたもので、本来‘任那’は‘対馬島’であり、 その根拠はその当時王政もまともに樹立することができなかった日本の歴史的状況と、対馬島で出土する文化で見つけることができる。」、「1869年の版籍奉還の時、日本が武力で強制占拠する以前には対馬島が古朝鮮以来ずっと私たちの領土だった」と主張した。
その証拠として日本の他の島では発見されない青銅剣と青銅鏡など古朝鮮固有の遺物が多量発見されていることと、対馬島で発掘される古墳は日本の‘甕棺墓’とは明確に違う、 古朝鮮以来の私たち固有の葬儀文化である‘箱式石棺墓’あるいは‘箱式木棺墓’である点など、文化と歴史的な側面で分析した多くの証拠資料を提示した。合わせて彼は初代対馬島主‘宗重尚(チョン・ジュンサン)’から最後の島主‘宗義達(チョン・ウィダル)’までの家系を提示しながら、「日本自らその事実を認めてきており、2011年から19代島主の‘宗義智(チョン・ウィジ)’を1代藩主だというのはごり押しなだけで、 これ以上遅くなる前に一日も早く対馬島収復(失地回復)に出なければならない」と力説した。
引き続き参席者全てが討論者として出たが、その中でオ・ウォンギュ(大韓地籍公社・博士3学期)は「対馬島が旧韓末(大韓帝国末期)まで私たちの領土だったということが確実だが、なぜ領土紛争地域と宣言をしないのか気になる。そうしてこそ収復できる糸口もできるだろう」と対馬島領土紛争宣言を主張し、キム・テシク(修士3学期)は「対馬島が私たちの領土であることが確実な以上、李承晩(イ・スンマン)大統領時代のように返還要求を公式にしなければならない」として返還要求を主張した。
この日共に参加したキム・ジョンナム博士(独島(ドクト)・間島(カンド)教育センター研究委員)は「私たちの領土を愛し、地籍学を愛する人々が集まって開いたセミナーだからそうなのか、真正な私たちの領土の定義がどこまでで、その領土を一日も早く収復して地籍学を通じて管理する方法までを虚心坦壊に議論した」と幸せな微笑を消すことができなかった。
チョ・ウォンイク記者
ソース:スポーツワールド(韓国語) 入力2013.11.10 16:08:30,修正2013.11.10 16:08
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南朝鮮人旅行者に対して甘く見てやっていたらつけあがる!こいつら何を考えて対馬に来てるんだ?日本のマスゴミも、ちっとはこんな現実を報道しないと!
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