高橋公園緑地
熊本ドライブ 2015 その4
どうにか危機を乗り越え・・・歩いていると川沿いに小さな公園がありました。
さすが熊本城のお膝元、文化施設や史跡なんかが沢山あります。公園の中に入ると銅像が・・・
横井小楠をめぐる維新群像
横井小楠、通称平四郎、幕末維新期の大思想家です。横井家は細川藩士家禄150石の家で、小楠は文化6年(1809年)熊本城下の内坪井(うちつぼい)で生まれました。藩校時習館(じしゅうかん)に学び、江戸遊学(えどゆうがく)を命ぜられて天下の俊秀と交わり、帰国後実学(じつがく)を唱えて中級武士と惣庄屋層の支持を得ました。
越前松平春嶽(まつだいらしゅんがく)公に招聘され、福井藩にその経論を実現し、後に春嶽の幕府総裁職就任に当たっては、その顧問として幕政改革に貢献しました。その間に勝海舟(かつかいしゅう)と親交を得て、また坂本龍馬(さかもとりょうま)にも影響を与えました。
文久3年(1863年)帰国を命ぜられ、士席を除かれて隠栖すること5年、明治元年乞われて新政府の参与に出仕、抱負の実現を図りましたが、翌2年正月京の町で志半ばに凶刃に倒れました。
明治3年熊本藩は実学派の改革を実現し、藩知事細川護久(ほそかわもりひさ)、大参事細川護美(ほそかわもりよし)の下に、藩士山田・嘉悦(かえつ)・内藤等及び惣庄屋層の徳富(とくとみ)・竹崎・長野等により、肥後の維新の到来を見たのでした。
この群像は横井小楠の生誕190年、没後130年を記念して2000年に、千葉城に近い高橋公園に建立されました。台座には小楠がアメリカ留学に旅立つ甥に贈った「尭舜孔子の道を明らかにし 西洋の器械の術を尽くさば 何ぞ富国に止まらん 何ぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」の言葉が刻まれています。(熊本城公式HPより)
その横には・・・
谷 千城(たにたてき)像
天保八年(一八三七)土佐藩士の家に生まれ、戊辰戦争に参戦して功績があった。明治五年(一八七二)陸軍少佐となり、六年から暫く熊本鎮台司令長官となり、神風連の変後、再び熊本鎮台司令長官となり、西南戦争に際しては籠城策をとり、五十二日にわたる薩軍の猛攻に堪えて勇名を馳せた。のち貴族院議員となり、同四十四年(一九一一)に没した。
この銅像は昭和十二年(一九三七)に西南戦争六十年を記念して建設されたが、第二次世界大戦中に金属供出され、昭和四十四年(一九六九)に明治百年を記念して再建された。朝倉文夫の作品である。 熊本市 (案内板より)
その奥には・・・これまた古い石造りの建物が・・・
高橋公園四阿(アヅマヤ)
昭和59年に取り壊された旧市役所の玄関アプローチを平成3年に移設、復元したものだそうです。
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