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2016年7月 6日 (水)

2016年6月の熊本城 その5 加藤神社

2016年 熊本~大分ドライブ part8

Cimg603710:50 加藤神社に到着

肥後熊本藩初代藩主、加藤清正公をお祀りする神社です。清正公(せいしょこさん)は、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たし、〝後の世の為〟の政事をされた大恩人であります。(加藤神社facebookより)

Cimg6054 Cimg6055

狛犬さんの横には・・・

Cimg6038_2 Cimg6039

(左)倒れた石灯籠 (右)ここの辺りの石垣も被害を受けている・・・

歩いていると・・・社務所の横に

石が展示さているCimg6040

崩落した石垣より現れた観音様

Cimg6042

これはニュースになっていたぞ!

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崩れた石垣に観音菩薩現る 熊本城内の宮司がFBに投稿

Kannonsama_kumamoto 熊本地震で大きな被害を受けた熊本城(熊本市中央区)で、崩れた石垣の石から戦国時代に彫られたとみられる「観音菩薩(ぼさつ)」が見つかった。

 4月16日の本震では北大手櫓門(きたおおてやぐらもん)跡の石垣が崩れ、城内にある加藤神社の境内に石が散乱した。湯田崇弘宮司(44)によると23日、このうちの一つの石の側面に観音菩薩が彫られているのを確認したという。

 観音菩薩は40センチほどで、蓮華座に立ち、左手には蓮(はす)のつぼみのようなものを持っている。後光も描かれており、湯田宮司は「震災でみなさんの気持ちが沈んでいる中、本当の光のように感じました」と話す。今月11日、神社のフェイスブックに載せたところ、14日昼までに、7万5千人に読まれたという。

 市熊本城調査研究センターの美濃口雅朗主幹(55)によると、描かれている面がきれいに研磨されていることなどから、元々は「板碑(いたび)」と呼ばれる仏像を彫って供養する石碑で、築城の際に石垣に転用されたと推察されるという。15~16世紀に彫られたものと考えられ、美濃口さんは「築城以前の人々の暮らしや、築城時の様子が垣間見える貴重な資料だ」と話す。(荒ちひろ)(2016年5月14日18時51分 朝日新聞デジタルより)

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Cimg6043

奥へ進むと拝殿があります。

Cimg6044 ここにもくまモンが!

拝殿横には・・・

Cimg6050 Cimg6051

(左)太鼓橋 清正公が文禄の役の記念として持ち帰られたものであり、帰国後に於ける橋づくりの原型とされたものであります。(右)大手水鉢 熊本三手水鉢と言われ、清正公の重臣大木邸使用のものです。(加藤神社公式HPより)

ここから2016年6月現在、最も近くで大小天守閣を眺めることが出来ます。

Cimg6046

崩れ落ちた石垣や・・・

Cimg6047 小天守の展望階や

大天守の傷んだ姿に・・・

胸が痛みます。 Cimg6048

Cimg6049 早期の復旧を望む!

つづく

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