ぴろQ今月の一本!(9月)


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改装の為、10月2日をもって一時閉館するマリンワールド海の中道へ行ってきました。
去る26日、来日中のタイのバンドLa Ong Fong~SanQBandのエくんが帰国前日に、福岡のファンの皆と食事をしよう!と言う話になり・・・
21:00 福岡市中央区の薬院に集合!・・・という連絡が回ってくる。薬院と言うと、その昔・・・ゲウチャイと言うタイ料理屋がありましたが、市営地下鉄七隈線の薬院大通駅に直結したビルに移転して、名前もプラウチャイと変えて営業していましたが・・・・
そのゲウチャイ跡に新規オープンしたドワンディーがこの日の食事会の場所になりました。
こんな感じのお店
正面から見るとこんな感じ。私が店の前でスマホいじっていたら先にお店に入っていたH山さんとタイ人お姉さまがいました。中に入って・・・・
先ずは・・・ビール!
先に飲んでいたら・・・I藤さんW辺さんと次々にやって来た。肝心のエくんはアゴーラ福岡 山の上ホテルに宿泊しているそうで、福岡入り直前に体調を壊して、あまり元気ないそうですが・・・せっかくなんで皆にあいたい!という事でわざわざ来てくれるそうです。
なんて良い人なんだ!!
そんなこんなで・・・まだエくん来てないのに次々と料理が運ばれてきます。
ソムタムを始め・・・
前菜のサラダ
軽く食べてたら・・・エくん登場!カメラを向けると・・・
この表情www
何かとおどけた表情を作ってくれる。サービス満点です!(笑)
きしめんの様な麺の
パッタイやら・・・
味付けされた豚肉??
カオパット
和やかに食事会は進みます。このお店、SanQBandのTVシリーズ「九州・ザ・シリーズ」のエピソード12 に登場し・・・
ここでも演奏やってました。
エくんは、そんな事も懐かしそうに語っておりました。ちょうど1年前の今頃・・・1ヶ月かけて九州をまわっていたんだなぁ~
とどめの一撃 ガパオライスなんかも食べっちゃったりする・・・
本当は疲れているんでしょうが・・・そんな表情一つ見せない・・・
バイタリティ溢れるエくんです!
皆で記念撮影!そして・・・お開きの時、エくんから思いもよらないプレゼントが!皆欲しかったけど手に入れることができなかった・・・・
SanQBnadステッカー
エくん、ありがとう!
エくんのレンタカーが停めてあるコインパーキングへ。このままホテルへ帰るかと思いきや・・・ポケモンGO!をするために今から一人で百道浜の福岡タワーに行くそうな・・・(爆)
なんとパワフルなwwww
エくん御一行は、この翌日・・・9月27日(火)タイへの帰国の途につきました
タイに行きます!>
BSプレミアム プレミアムシネマ 原題:Escape from New York
エくんと飯食ってましたwww
<ちょっとでかけてきますよっ!
BSプレミアム プレミアムシネマ 原題:The Big Red One
1980年作品。第一次世界大戦を生き延びた老軍曹と、若き4人の狙撃兵の第二次世界大戦での物語。北アフリカからヨーロッパ戦線へ・・・淡々と続く戦場でのエピソードが綴られるが・・・戦争映画としては緊張感があまりなく、イマイチ盛り上がりに欠けます。当時スターウォーズのスークスカイウォーカー役で一発当てたマーク・ハミルが主要キャストにいますが、何と言っても老軍曹役のリー・マーヴィンの渋い演技が唯一の救いどころ。大昔、私が子供の頃、荻正弘氏が解説していた「月曜ロードショー」で一回だけ見た記憶がありましたが、内容をほとんど覚えたいませんでしたが、終盤のチェコスロバキアの収容所でのシーンはしっかり覚えていました。
先月、近所の整備工場に持ち込んで車検をしようとした所・・・エアバッグの警告灯が点きっ放しになっている点が引っかかり車検が通らず、工場の人からは「配線が悪くなっているのが原因なら手の施しようが無い=廃車」とまで言われ・・・覚悟を決めてディーラーに相談した所・・・紆余曲折を経て・・・エアバッグのユニット一式を外すことで車検に通ることが判明。
台風で部品の到着が遅れたり・・・色々ありましたが、昨日無事・・・
納車!
新しいハンドルです
ハンドル中央の真っ赤なホーンボタンが目に沁みるぜ!
車検代142,458円+修理代50,000円=192,458円
端数はサービスで→190,000円かかりました~
まぁ・・・程度の良い新車買うのも馬鹿にならないので安く済んだと思っております。これでまたドライブにいけるじぇ~!
長崎ドライブのお土産、大トリは・・・新地中華街 江山楼のショップで買ったお土産ちゃんぽん!
2食入りでなんと1,400円ほどしました!リンガーハットで喰った方が安い!!
10年前の今日・・・モカちゃんが我が家にやって来ました。その日の様子は・・・犬が来たー!1 犬が来たー!2 犬が来たー!3 犬が来たー!番外 犬が来たー!4 犬が来たー!5 犬が来たー!6
あの頃・・・あんなに可愛かった赤ちゃん犬が・・・
毎日ゴロゴロ・・・いつも眠そうな老犬になってしまいました。
CSムービープラスHD (無料放送)
原題:A.I. Artificial Intelligence 2001年作品
ディズニーチャンネル (無料放送) 原題:Wreck-It Ralph
長崎ドライブのお土産です。西海橋の物産館で購入!
長崎卓袱 角煮
レトルトパックに4ケ、小分けで入って・・・1,200円くらいでした。高っけー!
焼きそばも食ったし・・・もう一回りしてみよう!参道の脇にも色々あって・・・
ゴリラのトランポリンやら・・・
乗り物の電車やら・・・この一帯は放生会の中でもディープなエリア
出たな!マイナス30度の世界(爆) これは冷凍車の荷台を改造したもので、中に入ると怪しげな豆電球が点滅していて・・・一番奥にペンギンのぬいぐるみが一個置いてある・・・ただそれだけの完全な騙しのアトラクションです!これで入場料500円だったかな?www
その横にはゾンビ村
まぁ~入り口からしてオドロオドロしいwww
ここまで来たら・・・カオスの世界 更にその横は・・・
見世物小屋
ゴキブリコンビナートの看板にソソられますwww
何の意味があるのでしょうか・・・
ぬいぐるみの口から水
(左)呼びこみのお姉さんが紐を引っ張ると・・・(右)羊が縛られたドラム缶がガンガン鳴ります!
私も何度か入ったことがありますが・・・ヨボヨボの爺さんのテーブルマジックからオバちゃんがヘビを裂いて食べるグロ系、首から下は作り物の蜘蛛女など・・・はっきり言って騙し、インチキの類、いかがわしさ満載なんですが・・・現代において、もはや絶滅が危惧されている見世物小屋・・・大衆芸能の一つとして続いていってもらいたいものです。
更に横には・・・
お化け屋敷
入り口の人形も
手作り感満載www
恐ければ何でも良いというスタンスが良いですね~
今回は時間の都合上、見世物小屋には入りませんでしたが・・・いつかまた入りたいと思います。それまで生きのびていてくれ~
今年の夏のポケモンGO!配信で・・・
息を吹き返したポケモン
露店の親父が言ってました「今年は妖怪ウォッチは駄目だね~」
エビ釣りに梅ケ枝餅
更に人が増える・・・
九大が近いというのもあるのでしょうが・・・綺麗に浴衣を着つけてもらったアジア系の女の子が楽しそうに露天を見て回っていたのが印象的でした。いい思い出になったかな?
土産に梅ケ枝餅買うたよ~ん!
21時過ぎ・・・予定を大幅に超えて帰宅の途につく。
おしまい
※筥崎宮 放生会は9月18日で終了しました。
立派な鳥居は・・・
一之鳥居 国指定重要文化財
本宮の鳥居は、御本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれます。
一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。(筥崎宮公式HPより)
参道を歩くと・・・焼き鳥を喰いたくなったが・・・1本100円の屋台には行列ができていた。そんな中・・・
タイ風焼き鳥 マイヤンなる食物を発見!ガイヤーンじゃないと?・・・と突っ込みたくなるのを抑えて・・・面白そうだったので 一つ購入。普通ガイヤーンだったら炭火で焼いていますがここのは鉄板で焼いていました。ピリ辛ソースをリクエスト。
この味は・・・多分シーラチャーソースだ!
ビールに合ってなかなか美味しかったです。500円もするだけあって、なかなかのボリュームで一気にお腹いっぱいになってしまった。
更に歩く・・・
ここからネット中継第3弾を行う
日も暮れて人も増えてきた
喧騒の中・・・さまよう・・・
このお好み焼き
美味しそう~!
だけどお腹いっぱい ・・・こっち喰えばよかったかな。
どれもこれも美味そうだ~
そんな中・・・
量少なめの焼きそば発見!いくら?500円ゲロゲロ・・・でも喰いたくなったので購入。
祭りで喰う焼きそばは特別やもんね~
回廊の一番奥に・・・
神輿が展示されています。
神輿と一緒に獅子や天狗なんかもあります。その中で、お菓子屋さんが奉納した・・・
神輿
よく見ると・・・あ!・・・
外国人が好きそうな絵柄
そして・・・奥の隅に大砲が!
南懐仁の大砲
筥崎宮の回廊に置かれている青銅製の大砲で、砲身長328cm、口径13.4cmである。銘文より中国清朝の康煕28年(1689)製作で、フェルディナンド=フェルビースト(中国名:南懐仁、1623~1688)が製作指導を行ったことがわかる。フェルビーストはベルギー人のイエズス会宣教師で天文・暦法・地理・砲術等様々な西洋技術を伝えている。
砲身に漢字と満州文字の銘文が記されるとともに、蓮華紋や唐草紋ほかの種々の文様が鋳出されている。(福岡市の文化財 公式HPより)
本殿の裏側
まだまだ続く生花!
その合間に・・・
白馬(作り物)が!どういう意味があるのか調べたけど・・・分からなかった^^;
回廊の展示も終わり・・・
楼門から外へ
左に曲がると・・・
亀山上皇像 13世紀後半の元寇の頃、「我身をもって敵国降伏を」と伊勢神社へ勅使を派遣した上皇で、東公園にある像の原型が展示されています。
再び参道へ・・・
見れば見るほど立派な楼門です。それもそのはず・・・
国指定重要文化財
楼門
文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれています。
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わります。 (筥崎宮公式HPより)
(左)「敵国降伏」の扁額 (右)拝殿 回廊には色々と展示物が・・・。ここからもfacebookでのネット中継第2弾をやりました。
チャンポンを吹く童女
西島伊三雄 作 西島氏の絵はハウスのインスタントラーメンうまかっちゃんのパッケージ等で広く知られています。
回廊の柱ごとに付けられた灯籠には地元の名士や所縁のある人達の書や絵で飾られています。(左)博多筆師 錦山亭金太夫 (右)ソフトバンクホークス会長 王貞治
放生会といえば・・・
おはじき
いろんなテーマで作られていました。その向かいは・・・
ガラスケースの中に・・・
様々なガラス細工が展示されていました。
博多ではビードロのことをチャンポンと呼びます。
その先には生花がずらりと展示されています。 本殿
拝殿・本殿 国指定重要文化財
醍醐天皇の延喜21年(921)、大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995)、大宰大弐藤原有国が回廊を造営したと伝えられています。しかしその後、元寇の戦火、兵乱などにより幾度かの興廃がありました。現存する本殿、拝殿は天文15年(1546)大宰大弐大内義隆が建立したものです。
本殿は総建坪46坪に及ぶ優秀な建物で、九間社流造(きゅうけんしゃながれづくり)、漆塗、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、左右には車寄せがあります。拝殿は切妻造、檜皮葺で、梁組が2重になっている素木のままの端正な建物です。(筥崎宮公式HPより)
焼きとうもろこしや・・・
焼きイカなんかの・・・
香ばしい醤油の焦げた臭いがたまらん!
参道を進む・・・
あちこちに・・・どこかで見かけたようで、何かが違うキャラクターが・・・
そして・・・
藤子・F・不二雄とディズニー 夢の共演!
お面にシャーク釣り・・なんとも懐かしい・・・↓動画 雰囲気だけでもどうぞ!
楼門に近づくと・・・横のステージで・・・
NHK大河ドラマも終わって完全に旬を過ぎてしまった感もある・・・官兵衛ガールズが歌っていました。まだやってたんだね~
ぽか~ん・・・
楼門に到着
9月14日(水) 夜勤明けで少し時間が出来たので、毎年9月12日~18日まで催されている筥崎宮の放生会(ほうじょうや・ほうじょうえ)に出掛けてきました。放生会は「博多どんたく」「博多祇園山笠」と並び”博多3大祭り”のひとつに数えられる秋の風物詩です。
最後に放生会に行ったのは2007年、筥崎宮に行ったのは2012年以来だったので久しぶりです。
17:10 JR箱崎駅に到着。
案内に従い歩く。箱崎駅も大きくなって、やや香椎(千早)寄りになったので、筥崎宮が遠くなった。
歩くこと十数分・・・住宅街を抜けて国道3号線に出る。
17:40 筥崎宮に到着! そもそも放生会とは何ぞや?・・・と言う人のために・・・
放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。(wikipediaより)
タイのお寺の入口に、籠に入ったスズメを売っていますが・・・スズメを逃がして徳を積む ・・・あれと一緒なんですね~
先ずは燃料補給!クソ高いスーパードライ
ここからfacebookのネット中継の第1弾スタート!リアクションが少なかったけど、とももさんからコメントが入ったりして嬉しい!
まだ明るい参道をぶらぶら歩いてみます。
良い匂いがしてきます。
これまた懐かしい金魚すくい!金魚をすくったら・・・ ホームセンターなんかで売っている
たのしい金魚セット
略してたのきんセット(爆)
なんかで飼育することをオススメします。
今朝・・・私のスマートフォン愛機STREAM S 302HW仔ちゃんをいじっていたら・・・急にエラー画面になり・・・それから先表示されなくなりました。
10日ほど前になりますが・・・
9月7日(水)幼馴染のプロミュージシャン安部潤くんと上海出身のシンガーaminさんのコンサートがある・・・と言う事で福岡・天神まで行ったのですが・・・当日券をあてにしていたら・・・まさかのSOLD OUT 仕方がないので昼飯だけ喰って帰ろう・・・
・・・ということになり、学生の頃よく来ていた天神ビブレの地下にある名代ラーメン亭にやってきました。
12時直前だったのでどうにか座れました。この店、 ラーメン450円と言う素晴らしいコストパフォーマンスの中・・・
CSキッズステーション 【無料放送】
1987年作品。その生き血を飲むと永遠の命を得ることができると言う火の鳥(不死鳥)を巡る手塚治虫のライフワーク・シリーズのOVA。西暦2557年、惑星ザルツから重要資源を移送中に遭難した宇宙船に乗り込んだ牧村と、その他クルーの物語。いつの時代の権力者も欲しがった「永遠の命」を、「死ぬことができない罪」として扱った作品。本作は制作当時、ハリウッド映画のSFブームにかなり影響された部分もあるが、作品を通しての不変なテーマはかなり重く、手塚治虫氏の只者ではない才能を感じる。久しぶりに全編通して読みたくなった。ネタ切れハリウッドは手塚治虫を勉強した方が良い。
本当は映画扱いで映画として評価したかったけど、劇場公開された記録が無いのでTVアニメ扱いで感想を書きました。
CSキッズステーション 【無料放送】
1987年作品。その生き血を飲むと永遠の命を得ることができると言う火の鳥(不死鳥)を巡る手塚治虫のライフワーク・シリーズのOVA。私が小学生時代の担任の先生の家に遊びに行った時、電話帳の様な「火の鳥」が揃えてあって全巻読破して以来、私の心に刻み込まれたシリーズです。本作は、ヤマト朝廷の密命を受けたオグナとクマソの王の妹カジカとの悲恋の物語。やはり”火の鳥””はシリーズを通したテーマや世界観を感じないと本当の意味が心に響かず、本作もこのエピソードだけではちょっと弱い感じがしました。
本当は映画扱いで、映画として評価したかったけど、劇場公開された記録が無いのでTVアニメ扱いで感想を書きました。
<出かけますよっと
ちょうど1年前の今日、9月13日 タイのフォークデュオSanQBandが”CDを手売りしながら九州1周する”というプロジェクトが本格的にスタートした日です。前日(12日)にタイから福岡入りしたお二人&撮影クルーは冷泉の鹿島旅館に宿泊、当日、大濠公園で昼間に練習~夕方、警固公園で練習する・・・という情報が流れていました。
その日私は夜勤明けで、お昼すぎから動けたので夕方、警固公園で応援しようと天神までやってきたのですが・・・
これまた時間や場所が2転3転し、結局、21時にやっと会えることができました。
その時の様子はこちらから
SanQ Bandを見に行ったYO! その1 時間がずれ込んだとの情報が入り・・・暇つぶしに警固神社 その1 警固神社 その2 場所が変更になったという情報が入り・・・デモ隊~まさかの展開 やっと合流 大濠公園を迷走~無事SanQBandと合流!! SanQ Bandのライブを鑑賞 ① 【動画追加】 SanQ Bandのライブを鑑賞 ② 最終回 【動画追加】
月末、タイの妹分(弟分?)の実妹の結婚式参列のため、タイへ渡航予定でしたが・・・行く前にもう一度応援しておきたい・・・という気持ちが高ぶって21日・敬老の日に阿蘇まで行きました。
その時の様子はこちらから・・・
SanQ Bandを見に行ったYO! 阿蘇編 その1 田園地帯を迷走~SanQ Band発見!LIVEを鑑賞 阿蘇編① SanQ BandのLIVEを鑑賞 阿蘇編② SanQ BandのLIVEを鑑賞 阿蘇編③ SanQ Band Live・・・その後
気さくでフレンドリーなナイスガイ!二人の人柄とサウンドにすっかり魅せられてしまいました。この後facebookでSanQBand関連の友達が日本人、タイ人共に増加。
私がタイから戻った後の福岡市役所横ふれあい広場で催されたアジアンパーティーで劇的なフィナーレを迎えることになります。(その時の様子は後日)
その後・・・プライペートで度々来日していたエくんとも何度か再会出来たり・・・
帰ってきたよん! タイ旅行記のアップ中、こんな事がありました~! タイ人のハート、届いた後に・・・
何かと縁があって今に至っております。
そんな彼らの30日に渡る九州1周の様子を記録した「九州ザ・シリーズ」の映画版・TV版の上映、放送も終わりオフィシャルなファン認定もいただき(笑)オフィシャル認定いただきました^^;
先日(9月9日)よりBOXセット予約を開始!発売を待つこととなりましたが・・・
果たして私はこれを手に入れることができるのでしょうか?
長崎県の平戸で食べそこなった、あごだしラーメン。長崎の中華街でインスタントを見つけたので買ってきました。
新地中華街の製麺屋さん 三栄製麺製。 賞味期限は9月4日となっていますが冷蔵庫保存すると1ヵ月大丈夫だそうです。またく同じパッケージでとんこつ味もあるので、中華街で購入の際は注意が必要!
間もなく大村湾SA出発!
長崎県内の高速道は・・・
トンネルが多いけど
佐賀に入ると・・・開けてきます。
10:30 鳥栖JC通過 九州自動車道に乗ると・・・
車も増えてきた
太宰府ICで九州自動車道を降り一般道へ・・・
11:20 自宅着
帰るやいなや・・・モカちゃん
が・・・
歓喜の雄叫びと・・・
歓迎の舞
<ぴろQおみやげは?
あ!忘れとった!!モカちゃんにはないwww<ふざけんな!
・・・と言う訳で・・・ひょっとしてサイノス仔ちゃんとはこれで最後になるかもしれない長距離ドライブ。どうにか無事故無違反で帰宅することができました。
おしまい
長崎ドライブ 2016 その59
三日目 8月26日(金)
7:00起床
前日、ホテル帰還前コンビニでビールとともに買っていたのが、小分けされたインスタントコーヒー(カップ付き)とミネラルウォーター。部屋に備え付けのケトルでミネラルウォーターを沸かしてコーヒーを作る。一口飲んで・・・
<おぇ~!なんじゃこの味!!
なんとも言えない酸っぱい味がしてとても飲める味ではなかった。コーヒーが悪いのか?ミネラルウォーターが悪いのか?よく見ると・・・ミネラルウォーターがこれでした・・・
アサヒ「おいしい水」カルピス乳酸菌入り→
紛らわしいパッケージ! これ・・・私じゃなくても絶対間違うやついるよー!慌ててホテルの自動販売機でミネラルウォーター買い直してコーヒーを飲みました。
9:00 ホテルをチェックアウト
サイノス仔ちゃんに乗って・・・
いざ福岡へ・・・
9:20 諫早ICより・・・
長崎自動車道に乗る
快適に飛ばし・・・
9:35 大村湾SA
暑さ対策のためテラスでは・・・
ミストを飛ばしていました
ここからは大村湾が一望できます
一昨日、大串交差点まで対岸の道を走ったんだなぁ~ ふり返ると・・・
長崎方面のSAの建物
長崎ドライブ 2016 その58
前の晩、はなの舞とともに満席で断られた魚民で晩飯を喰うことにする。
19:00 いざ入店!
さすがにこの日は時間的にも余裕があって・・・すんなりと入れた・・・
飲み放題にするか悩んだけど・・・明日は早くから福岡に戻らないといけなかったので、一番搾り(中)を単品で注文!
サーモン握り
石鍋牛すき玉
中にお肉たっぷり!
明太子チーズ揚げ
豚生姜焼き串
なかなか美味しかったけど・・・メニューの豊富さ(諫早店オリジナルメニューなんかもあった!)や店員の接客などを総合したら・・・はなの舞に軍配があがるかな~(※ぴろQ個人の意見です)
20:30 部屋に戻り、風呂に入ってマッサージを呼ぶ。
未明就寝 二日目終了
長崎ドライブ 2016 その56
17:10 諫早公園から諫早ターミナルホテルを目指す
途中ビールを買って・・・
雲仙でロープウエイに乗っていたら多分、諫早に到着するのが19時~20時頃になっていただろう・・・乗らなくて正解だった。
ホテル提携の駐車場に車をとめて・・・
17:35 ホテルに帰還
部屋に戻って早速・・・ビールで喉の渇きを癒す。猛暑の中、車の運転しっぱなしだったんで・・・
旨い!
窓からの眺め。しばらく、昨日に引き続き、facebookのイイねやコメントの返信、長崎ローカルのニュースなんかを見てゴロゴロ過ごす。
18:55 外出
やはり西友の玄関は
閉鎖されていた・・・
長崎ドライブ 2016 その56
諫早公園・山城の頂上は鬱蒼と木々が生い茂り周辺はよく見えませんが・・・一箇所だけ・・・
公園の東側に向けて、藤棚があって・・・そこから諫早市内を眺めることができます。
小長井方面
島原方面
長崎市方面
さっきまでいた雲仙
普賢岳 平成新山
がよく見えます。ベンチに腰掛けたら・・・額から汗がボトボト落ちて・・・
疲れた~
こりゃ二日後くらいに筋肉痛が来るぞ・・・などと思いながら頂上を一周すると・・・奥にモニュメントがあった。
戦没者慰霊の忠魂碑
(左)その奥には・・・初代諫早家の龍造寺家晴とその祖先、藤原鎌足を祀ってありました。(右)亀の塔(がめんとさん) 亀が踏ん張ってます・・・
”山城は「高城」あるいは「亀城」と呼ばれ、本明川の山下渕にいる亀が城の下に潜り込み、敵が城に攻めると亀が手足を伸ばして山を押し上げるので攻めることができなかった”・・・という伝説があるそうです。
大楠に別れを告げ・・・
山城を降りる・・・ さらば!諫早公園!!
長崎ドライブ 2016 その55
(左)諫早公園物語 その昔・・・諫早公園の山は、山城だった!
時は戦国時代。伊佐早地方(諫早市)を初めて統一した西郷尚善は、町にある小高い山にお城を築いた。山の北側は本明川を天然の堀とし、南側の絶壁の下に空堀や土塁を作り二重三重に守りを固めた。そのお城は、山の地形を巧みに使った山城であった。その山城は高城と呼ばれ、別名、亀城とも呼ばれた。その後、天正15年(1587年)豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は、龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められて高城を追い出された。それからは諫早家の高城になるが、江戸時代になると「一国一城令」がだされ、高城は姿を消した。そして時は流れ大正12年(1923年)ツツジが植えられてみんなの憩いの場として諫早公園が生まれた。(案内板より)
(右)国指定天然記念物 諫早市城山暖地性樹叢(案内板)
諫早公園内にある城山は、周囲約1km、標高50mの丘陵であり、西郷氏が高城を築城した地でもあります。別名「亀城」とも称され、国の天然記念物であるこの地の樹叢は数十種よりなり、ミサオノキ、クスノキ、ハマセンダン、オガタマノキ、ホルトノキ、ヤマモガシなどの巨樹が生育しています。特にヒゼンマユミは明治39年に千葉常三郎が発見し、大正2年牧野富太郎が学会に発表しました。
ニシキギ科に属する常緑樹でみかんの葉に似た端をもち、四稜形の黄熟した果実をつけ、果皮が裂けて赤い種子を見せています。また「市の木」にも指定されました。(ながさき旅ネットより)
うむ!ここまで書かれていたなら・・・一度登ってみるか!午前中猛暑と地獄のような階段でヘロヘロになっていたけど・・・最後の力を出して登ることを決意!先ずは緩やかな階段が続く・・・
大手門
ここは、山城の表口だった。本丸へ通じる虎口に設けられた門があったところで、敵の侵入を防ぐために厳重な作りだったと考えられる。(案内板より抜粋)
折坂虎口
虎口とは、城内への出入り口のことである。「小口」とも書き、狭い道という意味もある。敵と城兵の激しい攻防が繰り広げられた危険な場所だった。この場所は攻め上る敵の勢いを無くすために、地形を利用した狭く急な坂と、曲がり角の両方の仕組みとなっている。こうした構造から折坂虎口といった。(案内板より)
更に登っていると・・・・
ミサオノキの案内板
だんだん坂が急になって来る・・・うっへぇ~きつい~
すると・・・踊り場のように小さな広場があった。
東の丸
城兵は、大手門から攻め登る敵をこの場所で待ち受けていた。ここは、敵を頂上の本丸へ行かせないための広場だった。本丸の防衛や物見などの目的で作られた。(案内板より)
この東の丸の広場の隅に銅像がありました。
木下吉之丞 調べると・・・
安政6年(1859)~昭和4年(1929) 21歳で小野村村長 25歳で長崎県議会議員当選。明治38年 島原~諫早間の鉄道敷設 同42年に開通し島原鉄道 初代専務取締役に就任。その他、様々な工場、学校や研究施設も誘致した・・・いわば・・・地元の名士やね!
さぁ・・・あと一息! こんな急な階段や坂があるのに子供たちはポケモンGO!をやりながら走って登っていく・・・元気いいねぇ~ 虎口
この虎口は、本丸へと進む最後の出入り口である。敵との攻防の重要な場所になるため、厳重に守られていた。この虎口の下の石段は、狭くて急な坂にすることで、敵の勢いを止め、攻撃もしやすい造りになっていた。石段の側面の上は、登ってくる敵を横から弓矢などで攻撃できる横矢掛りといわれる場所になっていた。人の目は、顔の正面についているので、横からの攻撃に弱いのである。また、本丸にあるお城が簡単に目に入らないようになっていたと考えられる。(案内板より)
そして・・・ついに・・・
登り切った!
登り切ったところにあった案内板には・・・
高矢倉
この頂上には、高矢倉が四方にあったと考えられている。敵を弓矢で攻撃するため、また、見張り台として用いられていた。龍造寺家晴(初代諫早家)は、高城を手に入れるために桜馬場まで攻め込んだ時、高城の様子をこう述べている。
「高城の上に四方に高矢倉有りて、数多の矢狭間これあり。麓より上に至りて植木一本もこれなく、見すかしたる城なり」
高城の頂上には高矢倉が四方にあり、高矢倉から高矢倉の間は高い塀に囲まれていた。塀には、弓矢を打つために開けられた小窓(矢狭間)が多く造られていた。また、麓から頂上にかけて植木が一本もなく、よく手入れされた山城だった。当時の山城は、木が生い茂っていると守りにくく攻めやすいお城とされていた。(案内板より)
頂上で一際目立っていた
中央付近に・・・
巨大な楠の木
これだけ立派な大楠で、諫早公園の名物らいいけど、案内等が一切なかったのが・・・なんとも寂しい。
長崎ドライブ 2016 その54
有明海を右に見て
国道251号線を進む・・・
途中、国道57号線に乗り島原街道をはしる。これがよく整備されていて快適!
16:30 諫早公園に到着
諫早 眼鏡橋
日本で最初に国の重要文化財に指定された石橋です。戦国時代に築かれた高城(山城)跡を公園とした市街地の中心にある緑豊かな場所にあります。天保10年(1839)に当時の領主・領民が永久不壊の願いを込め、それまで大きな橋がなかった本明川に架けた石造りのアーチ橋で、諫早水害の後で公園内に移設されています。
「いさはやのめがねばしいきもどりすれば おもしろかなり」とかぞえ唄で親しまれています。(ながさき旅ネットより)
諫早駅にもミニチュアの眼鏡橋が飾ってあるし・・・
まり子の里 諫早の随一の観光スポットと呼んでも良いのではないか?
(左)諫早眼鏡橋物語なる案内板 (右) 記念撮影用の台 おぉ!以前来た時はこんなのなかったぞ!せっかくなのでここから撮影してみたら・・・
逆光!ww
諫早眼鏡橋で記念撮影するときは午前中からお昼にかけてが良いようです(笑)
長崎市内の眼鏡橋に比べたら大きいぞ~
逆方向から撮ってみる・・・
そう言えば先程からスマートフォンを持ってウロウロしている人が多い!それも老弱男女関係なく・・・何でだろう?・・・とよく考えたら・・・ポケモンGO!をやりに来てる人たちか~・・・納得! 久しぶりに橋を渡ってみる
昔まり子も渡っただろう・・
そんな事を思うと感慨深いwww
橋の上からの水面の眺め・・・ サイノス子ちゃん
渡り切る・・・
振り返って・・・
長崎ドライブ 2016 その53
15:15 再び山道へ・・・
間もなく・・・
雲仙仁田峠到着
ここから雲仙ロープウエイにのって・・・更に上まで行こうと考えていたんですが・・・時間的に見てちょっと厳しいかな~!子供の頃に来て以来だったから楽しみにしてたんだけど・・・後の予定があるので今回は見送りました。
妙見駅
仁田駅
後ろ髪惹かれる思いで・・・出発
山道を進むこと数分・・・県道131号線に乗って多比良方面を目指す・・・
正面に有明海が見えてきた!
長崎ドライブ 2016 その52
雲仙仁田峠 第二展望所 左を見ると・・・
平成新山
ここは普賢岳噴火の際、新しくできた山です。山肌にそって灰色の扇状地が広がっていて火砕流が流れ落ちたのが一目で分かります。
普賢岳噴火と平成新山の形成
1990年11月17日に普賢岳東側山腹から噴火が始まりました。1991年5月20日には地獄跡火口から溶岩の噴出が始まり、1995年に停止するまで2億㎥の溶岩が噴出しました。その半分が火砕流や火山灰として飛散しましたが、残りの1億㎥が高さ約250m 東西幅約1200m 南北幅約800mの溶岩ドームとして普賢岳の東側に残り、平成新山と命名されました。平成新山(現在の標高は約1483m)は、小規模な崩落が続き危険なことから立ち入りが禁止されています。(案内板より)
普賢岳噴火の頃、母方の祖母が深江町に住んでいて、福岡の我が家に一時避難していました。その後・・・1991年6月3日に大火砕流がおきました。あれから25年も経つんですね・・・。大火砕流の様子等は雲仙岳災害記念館がまだすドームに詳しく展示されています。
島原市方面
有明海を挟んで熊本地震の記憶も新しい・・・
熊本市方面
三角方面
天草方面
ここを天草四郎が渡ってきたのかな?真ん中に湯島が見えます。
南島原市方面
(左)復興後にできた巨大な橋 (右)深江漁港
天草?三角?の鉄塔
再び昭和新山
その向こうに見えるのは眉山。島原城の展望台から見ると眉山が手前に見えます。
長崎ドライブ 2016 その51
14:45 雲仙地獄の駐車場出発。
ひとまず仁田峠を目指す
すると・・・道路脇に看板があって・・・環境保全の協力金がどうのこうの・・・
なに!?金とるの?有料道路なの??・・・とか思っていたら、小屋が建っていて・・・中の人から「協力金をお願いします。」・・・って・・・ビラをもらった。任意らしいけど仕方がないので100円寄付して進む。
こういうのって税金でまかなわれてるんじゃないの?なんだか釈然としないな~
確かに道路は綺麗だ・・・
風景も良い・・・
緑の中を走る!
・・・と車が数台止まって人がワラワラいたので・・・
私も車を止めてみる
展望所です。
長崎ドライブ 2016 その50
再び緑の多い歩道に入ると・・・小川がピチピチと・・・
音を発てている
よく見ると川底から細かいガスが噴出しております。
雀地獄
このあたり一帯では、地下から噴き出したガスが水中で弾けて、ピチピチと小さな音をたてています。ちょうど、スズメがたくさん集まって鳴き騒いでいるような感じがするのでこのような名前になりました。おしゃべりをちょっとやめて、静かに温泉のつぶやきを聞いてみましょう。(案内板より)
そろそろ地獄も終盤
こちらもグツグツとお湯が吹き出しています。
かなりショートカットしましたが・・・40分近く歩き回っていました。 駐車場に戻る途中、お土産屋さんに寄って、家族用にゆせんぺいとチェリー豆、枇杷きららを購入。
長崎ドライブ 2016 その49
歩道をあるく・・・
左前方に見えるのは、いつかは泊まってみたい・・・九州ホテル
両脇にはグツグツと噴き出すガス・・・そんな中、大きな岩にプレートがはめ込まれていました。
真知子岩
昭和29年に映画「君の名は」のロケが雲仙で行われ、佐田啓二、岸恵子が雲仙を訪れました。 この真知子岩は、ヒロイン真知子を演じる岸恵子さんが手を付いた岩です。 番組の冒頭で使われた 「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という有名な言葉が刻まれています。 (福岡発!!九州観光ガイドより)
同じ年(昭和29年)「ゴジラ」第一作が公開され・・・奇しくも今年、2016年の夏、ゴジラの新作「シン・ゴジラ」と同名異作のアニメ「君の名は。」が公開されています。
モノトーンな風景を見ていると・・・
他の惑星に来たみたい・・・
・・・と言うか・・・やっぱり地獄か・・・
<Welcome to Hell
ついついこれを思い出してしまうwww
東屋がありました。
ここでは靴を脱いであがると地熱を感じることができます。
更にこの辺りは・・・ お糸地獄という名前が付けられていました。
お糸地獄
その昔、島原城下で、たいへん裕福な生活をしていたのに密通をしたあげく、夫を殺してしまったお糸という女がいました。お糸が処刑されたころにこの地獄が噴出したので、「家庭を乱すと地獄に落ちるぞ」という戒めを込めてこの名前がつけられたと言われています。(案内板より)
長崎ドライブ 2016 その48
煙の中を歩く
歩いていると・・・
だんだん緑が多くなってきて・・・ 突然十字架が出現
キリシタン殉教碑
キリシタンが厳しい弾圧を受けていた頃、幕府は改宗を迫る手段として、温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行ってました。寛永4年(1627)からの7年間にこの地で殉教していった者は33名と言われています。この地獄を見下ろす丘の上に建っている十字架は、いまなお殉教の信徒をたたえています。(案内板より)
そうなんです・・・雲仙地獄は禁教時代、拷問の場所でもありました。詳しい資料は島原城の中に展示してあります。・・・撮影禁止でしたけど・・・^^;
更に進むと・・・
再び荒涼とした風景が・・・
続きます・・・
吹き出す熱気と・・・
硫黄の匂いがきつい・・・
長崎ドライブ 2016 その47
山道を通ると・・・
突然、湯煙漂う温泉街が出現する・・・雲仙温泉です。
13:45 雲仙温泉の中にある雲仙地獄に到着。適当に駐車場を見つけて入ると・・・
守衛さん不在。「いない時は500円入れてください」 と箱がありました。(大丈夫やwww) 店番していた猫が・・・
<まいどあり~
雲仙の地獄は子供の頃、父親がお盆に帰省した時に一緒に連れて来てもらいました。馬に乗って坂を降りたのを微かに覚えています。その時以来!駐車場とお土産屋さんの間を進むと・・・
雲仙地獄スタート! 別府と違って入場料は無料!いろんなルートがあるようですが・・・午前中体力を使い果たしたので楽なコースを選んで歩く(笑)
漂う硫黄の匂い
案内板によるとこの辺りは・・・
八万地獄
温泉と噴気
雲仙の温泉の泉質は、硫酸イオンの多い硫黄泉で、強い酸性を示します。古くから温泉治療として用いられ、リウマチ、糖尿病、皮膚病に効果があります。
またシューシューと音を出して吹き上げている噴気の温度は120度もあります。
噴気は大部分が水蒸気ですが、炭酸ガス、硫化水素ガスを含み、強い硫黄の匂いを漂わせています。(案内板より)
あらゆる所でブクブクと音を立てて噴気があがってます
八万地獄
地獄という言葉は、現世に悪いことをすると、死後に苦しみの世界に落ちるという仏教説話に基づくものです。いつの世も、地獄を恐れる人の心は変わらず、このような荒涼とした場所に地獄のイメージを重ねてきたのでしょう。八万地獄というのは、人が持っている八万四千の煩悩によってなされた悪行の果てに落ちる地獄のことだといわれています。(案内板より)
長崎ドライブ 2016 その46
ソフトクリームで涼をとった後は・・・駐車場に戻って車に乗る。
まぁ~これが暑い!
12:20 クーラー全開全開で出発。信号待ちで正面に見えたのは・・・
稲佐山展望台
ふと横を見ると・・・出島
カピタン部屋が見える
以前出島へ行った時は、この辺りは昔、海だったのかな~とか思いながら眺めていました。その時の様子はここから
これから島原に向かう事にします。島原は私の両親の出身地で、子供の頃よく連れてこられたもんですが、成人してからは御無沙汰しております。
先ずは国道34号線にのって・・・途中コンビニで
いろはす購入
滅多な事ではお茶やブラックのコーヒー以外の清涼飲料水を飲まないんですが・・・この日は暑すぎた!
国道251号線を通って
国道57号線~県道128号線へ・・・
ここまで来ると・・・
視界が広がって・・
一面に広がるジャガイモ畑 後で調べたら・・・島原は九州一のじゃがいもの生産地で、御当地ブランドのじゃがいもも数々生産されているらしい・・・
こんな段々畑も・・・
私が幼い頃、父親の実家近くで見た記憶があります。
更に走ると・・・
13:30 だんだん山深くなる
長崎ドライブ 2016 その45
腹ごなしに中華街をぶらぶら・・・。神戸や横浜の中華街に比べたら長崎の中華街は本当にコンパクトで初めて来る人は拍子抜けするかもしれません。(笑)
新地蔵跡
お土産屋さんの軒先には
如何にもチャイナなマネキン
中華料理屋の前も・・・
湊公園
ここが長崎ランタンフェスティバルのメイン会場となりますが・・・狭い!この狭さが、いまだに私がランタンフェスに行かない理由の一つであります。
猛暑の中
歩く・・・
この猛暑の中・・・露店で売っているのは肉まんや角煮まんなどの熱々系・・・そんな中見つけたのは・・・
枇杷ソフトクリーム 暑さでヘロヘロになっていたのでこれには助かった!
長崎ドライブ 2016 その44
時間は丁度お昼時。このドライブを計画した際、先ず頭に浮かんだのが・・・長崎の中華街で久しぶりにちゃんぽん喰いたいな~という事でした。
11:10
新地中華街に到着。 中華街では江山楼で食べることが多かったので、今回は違う所にチャレンジしたかった。
歩いていると・・・
江山楼の向かいに宝来軒なる中華料理屋を発見。店の前の看板には”NIB長崎国際放送「ひるじげドン」地元民が選ぶ美味しいチャンポンに選ばれました。”との事。
よっしゃ~!いっちょ入ってみるか!
中に入って先ず目に飛び込んできたのが ゴジラ(笑)後ろには本多猪四郎監督のサインがあった!
(左)店の壁面には東宝特撮映画の貴重なポスターがズラリ! (右)特に目を引いたドイツ版「怪獣大戦争」( ドイツ版タイトル「Befehl aus dem Dunkel 」 )のポスター
なんだ!特撮オタが店長なのか?・・・と思ったら・・・
(左)宮﨑駿のサイン (右)手塚治虫のサイン どうやらこのお店の創立71周年を記念して、来店した有名人のサインを展示しているようです。他に おばQのイラストと共に藤子不二雄氏のサインなんかもありました。
店内はこんな感じ・・・
私が入店した時、他にお客さんが一人だけでちょっと寂しかった。とりあえず特ちゃんぽん1,100円注文!
江山楼のちゃんぽんがクリーミーなまでに濃厚な豚骨スープだったのに対し、こちらは魚介系で出汁をとっているのか、意外とあっさり・・・しかし深い味わいのスープで野菜たっぷりの具だくさん。一気にお腹いっぱいになりました。
長崎ドライブ 2016 その43
眼鏡橋の周辺には中島川石橋群として古い橋が沢山かかっていました。
袋橋
架設者や架設時期などは不明。寛永年間(1624-1645)に架かっていた木廊橋を掛け替える形で架けられた模様。当時の町名で袋町に架かっており、袋町橋などと呼ばれていたが、西道仙により袋橋と名付けられた。 長崎大水害でアーチ部分を残して崩落したが、流失した元の石材を集めて活用しながら原形を復旧させた。水害被災前から高欄には擬宝珠付きの柱が用いられている。(wikipediaより)
川辺の公園
中島川公園 公園の中に・・・ 出たな!薮内!・・・と思ったら
なんだこの像は!?
「ぼんたくん」 清水崑
上潮にのって迷子になり中島川をのぼってきた子鯨を見つけて、少年かっぱのぼんたくん、背中に飛び乗り大喜び。昭和五十七年七月の大水害を忘れぬためにも「ぼんたくん」をいつまでも可愛がってください。
鯨見よ 夕月縦に 真半分 狐音(崑の俳号) (案内板より)
黄桜のCMで有名な、長崎市出身の清水崑氏の河童のキャラクターを、長崎大水害のメモリアルとして像にしたのか!なるほど!!
常盤橋
常盤橋のある場所にはかつて古川橋という石造アーチ橋が架かっていたが、1912年(明治45年)に交通に不便ということから掛け替えが行われ、名前が常盤橋に改められた。 古川橋は1679年(延宝7年)に魏之琰(ぎしえん)が、それまであった木廊橋を掛け替える形で架設したもので、命名は西道仙による。 この常盤橋からその下流の賑橋にかけての地域は、1945年(昭和20年)8月9日にアメリカ合衆国が行った長崎市への原子爆弾投下での目標地点だった。しかし、当日は長崎市内が雲に覆われていたためにここへの目視投下ができず、結果として北西に3.4km離れた松山町に投下した。その後、2012年(平成24年)に長崎市が同橋一体を含む中島川公園に、同地が投下目標地点だったと知らせる説明板を設置した。(wikipediaより抜粋)
常盤橋の上から、眼鏡橋 ~袋橋方面を見る。豪雨の際、川の水を逃がせるように暗渠が作られている。
ここから・・・崇福寺の最寄りのコインパーキングに戻ることにする・・・
歩いていたら店の軒先に妙にリアルな猫 が葉巻をくわえていました。
それにしても暑い・・・
11:00 駐車場到着
サイノス子ちゃんに乗る
長崎ドライブ 2016 その42
住宅街を歩いていたら・・・
10:35 (左)眼鏡橋に到着 (右)橋の袂にあった黙子如定の像
長崎の地に370年余もの歴史を持つ眼鏡橋は黙子如定(もくすにょじょう)(1597-1657)という中国江西省の僧が寛永9年に日本に渡来し同11年(1634)に我が国最初のアーチ型石橋として眼鏡橋を完成させた。
川面に映るその姿から「めがね橋」の名で長崎の人たちに親しまれ、明治15年に正式に眼鏡橋と命名された。(案内板より)
眼鏡橋
ここもウン十年ぶりに来ました。橋を渡ってみる・・・
思わず自撮り
石垣の下に降りられる
川面の近くから撮影
この旅から帰ってきて思い出しましたが・・・この眼鏡橋、1982年の長崎大水害で崩壊したんですよね・・・。私の誕生日(7月23日)の晩で、福岡でもかなり激しい雨が降っていたのでよく覚えています。
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そんな眼鏡橋・・・ここもタイのフォークデュオSanQBandの九州ザ・シリーズでロケされていて・・・
何気にDanくんが一人、橋の上で・・・
ギターを弾いちゃったりしています。
夜には2人で橋の上で会話するシーンなんかも撮られていました・・・
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以前来た時はバイクで乗り付けて写真数枚だけ撮って次の場所へ行ってしまったので、「あぁ・・・こんなもんか・・・」と思っていましたが、今回歩いてみて・・・なかなか風情があって良いね~ 長崎観光は歩いて回るのに向いているようだ・・・
川沿いに歩き・・・
ふと見ると錦鯉
長崎ドライブ 2016 その41
この周辺はお寺の町らしい・・・
10:20 長崎の街を散策
歩いていると・・・
立派な入り口
見事な楼門に引き寄せられるがごとく・・・
門をくぐると・・・
正面に親鸞聖人
像
その右手には・・・
ぎゃ~!地獄のような階段
せっかく来たのだから・・・と登ってみたけど・・・
お寺が運営している幼稚園があって、中は開放してないようです。
階段を降りて、門を出る時に
案内板を発見
本木昌造先生墓所
どんな人だろう?と調べたら・・・
本木 昌造(もとぎ しょうぞう または もとき しょうぞう(未詳、後段参照)、文政7年6月9日(1824年7月5日) - 1875年9月3日)は江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。諱は永久、幼名作之助または元吉。異表記に昌三、笑三(或は号とも(曲田(1894)))、咲三。なお、木本昌造は誤記である。
通詞の家系へ養子に入り、幕府の通詞をする傍ら、西洋への興味から操船、造船、製鉄、活字製造などに関わった。また、明治維新後の廃藩置県により職を失くした武士への授産施設として私塾を開き、そこの一事業であった活字製造は、のちに独立して「新街活版所」となり、門下生らによって築地活版製造所などへと繋がった。私塾の関係者に築地活版の創設者であり石川島造船所の創設者でもある平野富二、横浜毎日新聞の創設者である陽其二がいる。(wikipediaより)
歩いていると・・・
石垣の上に大きな木が
見えた
案内板から見ると・・・皓台寺の敷地のもののようですが・・・先程、大光寺の階段でで力尽き果てたので諦めて次の場所へ・・・
長崎ドライブ 2016 その40
大雄宝殿の裏 ランタンが飾り付けられています。私が崇福寺を訪れたこの日(8月25日は) 旧暦の7月26日~28日(2016年は8月28日~30日)に行われる普度(蘭盆勝会)という中国式の盆供養の直前だったので飾り付け真っ最中でした。
軒にぶら下がった魚www
魚板
1831年(天保2)三門建築の棟梁・大串五良平らが寄進したもの。木魚の原型。魚の形をしているのは、魚は常に目を見開いていることから「惰眠(だみん)をむさぼるなという戒めの意」であるという。(ここは長崎ん町より)
媽祖堂門から見渡す
刹竿(せっかん)
旗竿石、港内から望見できる目印の旗を立て、媽祖神の菩薩揚げ、菩薩卸し行事のさい使われた。長崎の「5月5日の鯉のぼり」に引継がれている。
風にたなびく姿はまさに鯉幟!
日本式とも中国式とも言えない不思議な空間を歩く・・・
独特の雰囲気があります。
人通り見て回って・・・
三門への階段
三門を出ると・・・
来るときには気が付きませんでしたが小さな祠があってお地蔵さんがいました。
おしまい
長崎ドライブはまだまだ つづく
長崎ドライブ 2016 その39
媽祖堂門をくぐって奥へ行くと・・・
崇福寺 媽姐堂
海上安全の守護神媽祖を祀る媽祖堂は当寺草創後間もなく、現状より小さなお堂として建てられた。 航海安全を最上の願いとする来航唐商たちが祀っていた。 ここ崇福寺のほか、唐人の建てた興福寺にも媽祖堂があり、福済寺は観音堂の脇壇に媽祖を祀った。 寺に媽祖を併せ祀ったのは、長崎の唐寺の特色である。 来航唐船に祀る船魂神の媽祖像は、在港中これら唐寺の媽祖堂に奉安した。 現在建物は寛政6年(1794)再建のものである。
媽祖堂は唐人屋敷内にもあった。 天后堂という。(案内板より)
年季が入っています!お堂を覗くと・・・一番奥に・・・
媽祖さま
手前に2体 彫像があります。
航海・漁業の神 媽祖
千里眼
順風耳 なんですかぁ~>
媽祖堂の横には開山堂 丁度、大雄宝殿の真裏に当たる位置です
中興開山 即非(隠元の直弟子)像 即非とはナンジャラホイ?
・・・と調べたら・・・
そくひ にょいち 【即非如一】
(1616~1671) 江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。1657年師の隠元に招かれて清から来日し,長崎の崇福寺に住む。豊前(ぶぜん)小倉の福聚寺の開山。黄檗の三筆の一人。(weblio辞書より)
即非像の周辺には・・・
クリスマスツリー??・・・みたいな飾りが沢山おいてありました。
建物の装飾も可愛い・・・
更にその奥には祠堂 中を覗くと・・・如何にもチャイナな・・・
仏像が!
つづく
長崎ドライブ 2016 その38
大雄宝殿(国宝)
福州出身の在留唐人が中心となって、福州から僧超然を招き創立した寺。釈迦(大雄)を本尊とする大雄宝殿は、大檀越(有力な財物施与者)何高材の寄進により、中国で切組み唐船で運び正保3年(1646)上梁建立された。当初は単層屋根(たんそうやね)。35~6年後の延宝天和の頃、外観重層を付加し現在の姿となった。下層部分は軒回りの逆凝宝珠束(ぎゃくぎぼしづか)の持送りや、前廊部分が俗に黄檗(おうばく)天井と呼ばれるアーチ型の天井であるなど、中国建築様式であるのに対して、上層部の建築細部様式は和様を基調とし、しかも両者は違和感なく調和している。この上層部の意匠は福済寺大雄宝殿(原爆焼失)のそれに類似する。(長崎市HPより)
中を覗いてみると・・・
お釈迦様
優しいご尊顔です
お釈迦様を取り囲むように仏像があります。
県指定有形文化財 崇福寺本堂の仏像群(釈迦三尊と十八羅漢)
大雄宝殿の本尊は釈迦如来坐像。向って右脇侍は迦葉尊者、左は阿難尊者ともに立像。みな中空の乾漆像。胎内から銀製の五臓と布製の六腑が発見された。前者に承応2年(1653)化主(寄付集め世話人)何高材、後者に江西南昌府豊城縣仏師徐潤陽ほか2名の墨書があった。
左右に並ぶ十八羅漢は中空の寄木造で麻布を置き漆で固めたもの、延宝5年(1677)羅漢奉加人数という巻物が三尊の胎内から発見されたことと、唐僧南源の手紙に唐仏師三人が崇福寺で羅漢を造るとあるので、24年の隔たりがあるが、この三人が徐潤陽ほか2名ではないかと疑うこともできる。どれもみな中国人仏師の作で当時を示す貴重な作例である。(案内板より)
軒に吊るされた照明や彫り物装飾が中国っぽい!
鐘鼓楼の向かいに大きな釜があります・・・
これぞ大釜
崇福寺大釜
第2代住持であった唐僧・千獃(千呆)性侒が、飢餓救済の施粥(せじゅく)のために造った大釜である。 延宝8年(1680)の諸国不作以来、米穀不足となり、天和元年(1681)には、長崎にも餓死者が出た。 福済寺2代住持唐僧慈岳や当寺の千獃は、托鉢や富商の喜捨などで粥を煮、多数の窮民を救った。粥の施しを受ける者は多い日には、3,000人から5,000人に及んだという。
千獃は翌天和2年(1682)2月大釜を造り、4月14日完成。 鋳工は鍛冶屋町の鋳物師 案山弥兵衛と推定される。(案内板より)
媽祖堂門
国指定重要文化財 崇福寺 媽祖門(まそもん)
媽祖堂の前にあるから媽祖堂門と呼ばれるが(文化財の指定は媽祖門となっている)、大雄宝殿と方丈とをつなぐ廊下を兼ねた巧みな配置となっている。現在の門は文政10年(1827)に再建したもので、建築様式は和風が基調をなしているが、扉前面に黄檗天井がある。木割が大きく外観がよい。主要材はケヤキである。
媽祖は、まそ・まぁずぅ・ほざと読むが、また天妃・天后聖母・菩薩・老媽などの呼び名がある。海上安全守護の女神で、各唐船には船魂神として媽祖の小僧を祀る。(案内板より)
長崎ドライブ 2016 その37
大雄宝殿の向かいに・・・ずらりと並んだ祠の奥
護法堂 (重要文化財)
享保16年(1731)の建立。軸部は明らかに唐工匠の製作であるが,屋根回りは日本寺院風の様式で,日中工匠の合作かと思われる。平面計画の柱割りは特異で,黄檗(おうばく)宗天王殿の形式に類似する。切組みの唐匠も最初はそれを意図したが地形上左右通り抜けの中門,いわゆる天王殿形式とするのが不可能となり,大雄宝殿と対面する普通の仏堂となったものではなかろうか。
天王殿であれば,布袋(ほてい)(弥勒)(みろく)と韋駄天(いだてん)を中央部背中合わせに安置するが,ここでは中央に観世音(もと禅堂に祀った)向って右に関帝,左に韋駄天を安置する。観音堂・関帝堂・天王堂などと呼ばれたのはそのためで,扁額の「護法蔵」の文字から護法堂という。黄檗天井・柱上部藤巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(おうぎだるき)・半扉(はんとびら)など,皆黄檗様式の特徴である。柱の沓石(くついし)の梅花奇獣の浮彫りも,唐工匠の手になる見事なもの。(長崎県庁HPより)
右から
関天堂
関聖帝(関羽)が祀られています
護法堂には面白い伝説が残されている。関帝像前に食べ物を供えるとよくねずみに食べられるので、ある日即非和尚は関帝像をせめて右の頬を打つと頬の部分が剥げてしまった。だが翌朝見ると韋駄天の剣にねずみが刺し抜かれていて、まるで関帝の命令で韋駄天がねずみ退治をしたようだったという。和尚もこれには驚き、修理をさせたが剥げた部分にいくら漆を塗っても上手くいかず、今もその跡が残っているというのだ。(長崎公式観光サイトあっと!ながさきより抜粋)
そう言われると右頬が・・・
中央には・・・
観音堂
観音菩薩が祀られる
左に
天王殿
葦駄天が祀られています
涼しげな目元のなかなかの美男です
鐘鼓楼 (重要文化財)
重層の上階に梵鐘を吊り、太鼓も置いてあり、鐘楼と鼓楼を兼ねている。創建は、1647年頃とされている。その頃は寺の最南隅にあり港の唐船から媽祖門、媽祖堂がよく見えたという。現在の鐘鼓楼の位置には大釜が置いてあり、1728年(享保13)、現存の鐘鼓楼が再建されたときに現在の場所に移っている。
1728年(享保13)の年号と木匠荒木治右衛門の墨書がある。上層は、梵鐘や太鼓の音を拡散させるために、丸窓・火燈窓等の開放された開口部が多い。(長崎観光情報「ここは長崎ん町」より)
梵鐘 (重要文化財)
梵鐘は、1647年(正保4)鍛冶屋町の初代鋳物師阿山助右衛門の作。長崎市内の寺院の梵鐘を6個鋳造しているが、今ではこの鐘だけが残っている。
鐘銘に当時の檀越名と寄進額が刻まれてあり、29名、554両に上がっている。(長崎観光情報「ここは長崎ん町」より)
長崎ドライブ 2016 その36
入場券売り場から左へ・・・
長い階段が続きます・・・
登っていると・・・
在日華僑の人たちの碑や胸像なんかがあったりして・・・
祠がありました。
長い階段をひ~ひ~良いながら登りきると・・・目の前に門があります。
第一峰門 (国宝) 江戸前期/1644
崇福寺は寬永六年支那僧超然の創建にかゝり、大雄宝殿はその本堂で正保三年に建立された。上の重は元禄時代に附加され和様の手法が濃厚である。
第一峰門もまた同時頃の建立で、大雄宝殿の初重と共に江戸時代初めに輸入された明末清初建築の影響著しいものとして文化史上重要である。(文化財オンラインより)
細かい装飾が綺麗!(左)門に描かれた牡丹と蝙蝠(右)雲(瑞雲)などの吉祥文様 どちらも縁起物だそうです。門をくぐると・・・
石鉢やら小さな塔(金炉:金紙と呼ばれる紙銭を燃やす炉だそうです)があって・・・奥に進むと・・・
目の前に 大雄宝殿 (国宝)
長崎ドライブ 2016 その35
川平料金所で長崎道を降りて・・・ナビに従い、坂の多い住宅街の中を抜ける県道を走る。市内に入り・・・目的地最寄りのコイン駐車場に車を止め・・・
9:40 到着
崇福寺
崇福寺(そうふくじ)は、長崎県長崎市にある黄檗宗の寺院。大雄宝殿と第一峰門は国宝建築である。興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられる。
歴史
寛永6年(1629年) 長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建。中国様式の寺院としては日本最古のものである。福建省の出身者が門信徒に多いため福州寺や支那寺と称せられた。(wikipediaより)
長崎の崇福寺は、私が小学生の頃一度来たことがあって、いつか来よう・・・と思っていたのですが果たせず・・・ウン十年ぶりにやって来ました。
この独特の三門も重要文化財で1849年に建立された物です。屋根の両脇に鎮座する鯱鉾
門に施された装飾が、如何にもチャイナ!
門の前の狛犬
見事な浮彫の鯱(または魔伽羅) かなり傷んでます。
門に付けられた獣冠
門をくぐる時に見上げると・・・
色が落ちてます
重要文化財なので簡単に塗り直しができないのでしょうか。傷み具合が目見付きます。門をくぐって・・・
裏から見る
瓦の装飾が格好いい!
門をくぐったところに入場券売り場があって・・・
大人300円で入場券購入
つづく
長崎ドライブ 2016 その34
二日目 8月25日(木)
6:30 起床
昨夜、飯食う場所を求めてウロウロした際見つけた
駅舎の工事現場
駅前の西友も閉まってました
instagramに↑の写真をアップすると、学生の頃諫早の西友でバイトをしていた方からのコメントが入り、変わりゆく故郷の姿を淋しがっておりました。8:00頃までグダグダして・・・
8:30 出発
徒歩数分の駐車場へ・・・
サイノス仔ちゃんに乗りこむ
本日の最初の目的地をスマートフォンのナビに入力。
一般道を通って長崎市内に向かう・・・がうっかり間違って・・・
多良見ICから
長崎自動車道に乗ってしまった・・・
長崎ドライブ 2016 その33
諫早駅をぐるりと一周・・・何もないまま駅前のホテルへ戻ってきて・・・
はなの舞へ・・・
へとへと・・・おなかペコペコで・・・お店の玄関へ・・・。酔っ払いが数人出てきて・・・中に入って・・・「一周まわって来たんですが~」と言うと・・・慌てて今すぐ準備します。
とりあえずビール
握りずし
炙りめんたい
焼き鳥
一口餃子
お腹いっぱい!支払の際「どこ行っても満席で入店できなかったので、再度来たときに入れなかったら今夜の晩飯抜きでしたよ。どうもありがとうございました!」と思わずお礼を言った。
部屋に戻って・・・
マッサージを頼むも・・・今日は予約でいっぱい・・・どうしたんだ!?諫早
そのまま就寝 一日目終了
長崎ドライブ 2016 その32
20:10 ホテルチェックイン
今回のホテルは・・・この数年、長崎方面へ行くと 利用している、諫早ターミナルホテルです。
何と言っても諫早はまり子の里!長崎市内のホテルに泊まれなくても何の文句もありません!
お部屋の感じはこんな・・・
設備はこんな感じ・・・
バスルームはこんな感じです。いつもならここで、恒例顔面発光
するところですが・・・すっかり忘れていた。
facebookをチェックすると・・・アップした画像にかなりのイイねやコメントが付いていて驚く。そんな中・・・8月10日の誕生日からバンコクに一時帰国していた
じぇにちゃんが台湾経由でアメリカ・シアトルに戻ったのを知ってちょっと淋しくなる。
20:50 ホテル下のはなの舞へ・・・
これが・・・いきなり満席で入れない! 他に喰うところないか???個人経営の食堂もあるけど・・・もう午後9時でしまっている。(諫早の夜は早い・・・)BARみたいなところは数件あいていたけど・・・食事ができる雰囲気ではない。そんな中・・・見つけました !
魚民
ここなら開いているだろう!・・・と思ったら甘かった。ここも満席。 どうしたんだ諫早!?何か催しでもあったのか?
仕方が無いので・・・
駅舎の向こう側へとトボトボ歩くも・・・
全く店はNOTHING!!
地下道を通って表へ出る
更に吃驚! 長崎新幹線に伴って駅舎を建て直す話は・・・噂に聞いていましたが本当に・・・
駅舎が無くなっている。
まり子がいた頃の風景が・・・また一つ消えた(号泣)かつての駅舎はこちら。
悲しいねぇ~
長崎ドライブ 2016 その31
19:05を過ぎた・・・
淵神社横の無料駐車場に止めていたサイノス仔ちゃんに乗り込みいざ出発!
日もとっぷり暮れた
長崎市内に宿をとりたかったけど 、夏休み終盤と言う事と、熊本地震に伴う九州ふっこう割 が効いているのか・・・市内は軒並み満室。隣の諫早市の、いつも泊まっているホテルも2部屋しか空いてない状態で・・・どうにか押さえる事ができた状態。
19:20出島道路に乗り・・・
長崎自動車道へ・・・
さすが”坂の街”長崎・・・長いトンネルが延々と続きます。 諫早ICで一般道に下りて国道34号線を・・・
19:45 諫早市内へ・・・
ホテルの近所のコンビニでビールを購入 。ホテルへと向かう・・・しか~し
駐車場が満車!
フロントへ行って事情を話すと、ホテルの裏に提携している立体駐車場があるということで一安心。
立駐に車を停めて・・・
ホテルへ・・・
長崎ドライブの様子をアップ中ですが・・・
長崎ドライブ 2016 その30
帰りのゴンドラを待っていたら・・・カバンの奥にチケットが入り込んでしまって、どうしても見つからない。独りジタバタしていたらスタッフの人が「行きも乗ってこられましたよね!」と声をかけてくれて、どうにか乗れた・・・^^;
いざ乗車
帰りのゴンドラの中は、もう一人、おいちゃんと二人のみ・・・
19:00 ゴンドラ出発
ゆっくりと山肌を撫でる様・・・ゴンドラは進む・・・
登りとすれ違う・・・
間もなく淵神社駅到着
降りるとき、 ガイドのお姉ちゃんに声をかけ激写www 名札を見たら同じ苗字!
まだあどけないね
長崎ドライブ 2016 その29
18:50 間もなく日没
平戸で駐車場を探して小一時間迷ったせいで(結局見つけられなかったけど・・・)ホテルにチェックインする時間が遅れてしまいそう・・・
稲佐山公園方面
あれがかの有名な・・・
野外音楽堂かぁ・・・
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あそこでは、あんな人や・・・・
こんな人がコンサートすると・・・
こんな風になるんですね~
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名残惜しいけど、日没を待たずにホテルへ向かう事にする・・・
夏の終わり・・・
積乱雲と 夕日を眺めながら・・・
さらば稲佐山
展望台のらせん階段をおりて・・・
(左)長崎市内をバックに・・・ (右)光のトンネルを抜ける。丁度、薄暗くなって来ていたのでLED照明がきれい・・・。そして今から、夜景を楽しむ為に来た人たちとすれ違う・・・
長崎ドライブ 2016 その28
コンパクトカメラとは言えズームで見てみると意外とよく見えた!
ビッグNスタジアム
浦上天主堂
(左)平和祈念公園 (右)日本二十六聖人殉教地(西坂の丘)
(左)長崎駅 (右)みらい長崎ココウォーク
(左)出島 (右)大波止ターミナル
長崎水辺の森公園
(左)べっ甲工芸館 (右)旧香港上海銀行長崎支店記念館
(左)大浦天主堂 (右)グラバー園
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グラバー園と言えば・・・SanQBandのお二人も演奏していました。
左側ダンくんの奥にある彫刻は・・・ プッチーニ像
エくんの右にある像は・・・ 三浦環の像
私が2013年に行った時の様子はこちらから・・・
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女神大橋
野母崎方面
遠くに伊王島・・・その手前には・・・
豪華客船
この船はつい先程まで港に停泊していた船で・・・調べてみたら・・・
中国・上海からこの日(8月24日)の朝8:00入港し、18:00韓国・済州島に向けて出港したイタリア船籍のコスタ・セレーナで次回は9月5日に長崎港に入港予定です。
長崎ドライブ 2016 その27
北を見ると電波塔
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同じようなアングルでSanQBandのTVシリーズでも撮影してました。
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浦上方面
長崎市役所方面
グラバー園方面
女神大橋方面
伊王島方面
西側 間もなく日没
稲佐山公園方面
長崎ドライブ 2016 その26
先ず目に飛び込んできたのは・・・電波塔。ここも先日行った皿倉山同様、中継用のアンテナが沢山あって長崎市内へ電波を飛ばしています。
その向かいのモニュメント
450年のきもの
この彫刻は、日本とポルトガル友好450周年
を記念して、ポルトガル共和国リスボン市から長崎市に寄贈され、マリオ・ソアレス大統領ご臨席の下、除幕されました。
作者ペドロ・ラモス 平成5年10月(案内板より)
鶴のオブジェ
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この横の展望デッキで・・・タイのフォークデュオSanQBandが撮影していました・・・
TVシリーズ”九州ザ・シリーズ エピソード11”に収録されています。
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更に登ると・・・展望台が・・・
中に入ると・・・ ステージが組まれていて・・・
あしゅら男爵がいます。(笑) らせん階段を登って頂上へ・・・
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ここでもSanQBandは演奏してました。
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夕陽がまぶしいぜ!
長崎ドライブ 2016 その25
静かにゴンドラは登っていく
ふと見ると・・・長崎市内の街並みが見えてきた・・・
このゴンドラ、床以外透明なので・・・高所恐怖症に人には恐いかも・・・
中間部に差し掛かって・・・ 下りのゴンドラと
すれ違う
これがあっという間で・・・意外とスピートが出ている実感がする・・・
間もなく頂上
駅が見えてきた・・・
およそ5分で山頂駅に到着。
ゴンドラを改めて見ると・・・
なかなかお洒落やん!
展望台へ行く前に、午後の紅茶で喉の渇きを癒やす。この時点でリアルにfacebookにアップしていたら、長崎に縁のある人からの反響が沢山あって面白い!
光のトンネルを抜けて
展望台へと歩く・・・
長崎ドライブ 2016 その24
私は何度となく長崎へは来ていますが、稲佐山の展望台には縁がなかった・・・と言うか登ったことがなかった。初稲佐山です。
淵神社駅
この駅舎、やたら綺麗だな~!と思っていたら・・・今年の2月に耐震補強工事、及び駅舎の建て替えが終了したばかりだそうです。
往復 大人1,230円購入
ゴンドラも平成23年にリニューアルしたそうで・・・
リニューアルの紹介。
平成23年11月1日、長崎ロープウェイのゴンドラがリニューアルしました。 世界的工業デザイナーの奥山清行氏率いるKEN OKUYAMA DESIGNの手によって、これまでのゴンドラとは全く異なる、斬新なフォルムに生まれ変わりました。(長崎ロープウエイ公式HPより)
フェラーリ・エンツォや北陸新幹線E7/W7系などのデザインを手がけた会社らしい・・・
改札 時間があるのでしばらくウロウロ・・・
(左)出たな!葉加瀬太郎(あしゅら男爵) (右)ここにもメダリオン!
(左)今日の天候と・・・(右)使用されているワイヤーの紹介
ここで長崎ロープウエイの仕組みを・・・
長崎ロープウェイは、3本のワイヤーロープ(正式名称:複線交走式普通索道)を使っています。電車などのレールの役目をする直径52ミリのワイヤーロープ(支索[シサク])1本の上に、ゴンドラ1台の車輪がのっています。直径22ミリのワイヤーロープ(引き綱、正式名称は曳索[エイサク])2本を山頂(稲佐岳駅)のモーターで巻き上げることにより、ゴンドラを動かしています。運転には最新のコンピューターを使っています。この引き綱を巻き上げると、一方のゴンドラが上がり、同時に反対側のゴンドラは下がります。これを「つるべ式」と言います。(長崎ロープウエイ公式HPより)
とかなんとかしていたら・・・
ゴンドラ到着
ムスリムの家族と日本人数人 ゴンドラ内は満車でスタート
ゆっくりと動き始める・・・
長崎ドライブ 2016 その22
そのまま走っていると道の駅発見!あまりに暑かったので・・・しばし休憩
ここからの眺めも素晴らしい!
サルスベリの花が綺麗!
どこまでも続くような水平線
日本じゃないみたい
大島とその周辺の島々
ソフトクリーム喰ってクールダウン
この道の駅でもお土産(長崎県産パスタとパスタソース、レトルトカレー)購入!
長崎ドライブ 2016 その21
国道202号線~206号線に乗る
目の前に・・・
大村湾が広がる
普通だったらこのまま206号線を走って長崎市内へ行く所ですが・・・今回は、大串交差点から右折、県道12号線に乗り峠を超える。
山道をひた走る・・・
昔、バイクで通った頃は道も狭くて危なっかしい道でしたが、今は綺麗に整備されて走りやすくなっていました。
遠くに海が見えてきた!
16:10 西海市です!この沖に浮かぶ大島に小~中学校の同級生が仕事で行っていたけど・・・ウン十年音沙汰が無いなぁ・・・元気にしてるかな?
ここから先、国道202号線 右に外洋 東シナ海を眺めて走るサンセットロードが続きます。途中の公園で車を止めて休憩・・・
素晴らしいロケーション!
海沿いのワインディングロードが続きます。
バイク乗りにはオススメ!
ここも道が綺麗になった!
海が光り輝いてます!
長崎ドライブ 2016 その20
公園の向かいに魚魚市場と西海橋物産館があって、確か飯を喰う所があったはず!道をわたって駐車場に車を停める。
市場と物産館の間に、しょぼいゲーセンがあって・・・
虚しく電子音が響き渡っておりました。以前来た時と変わってない!(笑)
新幹線ゲームなんて久しぶりに見たぞ!
ゴジラやら
ウルトラマンもいます。
その横に”ライトミール自由亭”なるお店があって・・・ 軽く食事がとれるようになっていました。平戸で飯を喰い損なって・・・お腹ペコペコ!
15:20 入店
熱中症で死にそうだったので・・・
冷やしうどん 630円 注文 キンキンに冷えたコシのある五島うどんをすする。一緒に付いてきたお吸い物・・・あご(トビウオ)で出汁 を取っているのでしょうか?これが非常に美味かった!
食後、物産館側からも・・・
西海橋
新西海橋を撮影
物産館で、かんころもちと角煮を購入!再び灼熱の車内に戻って次の場所へ・・・
長崎ドライブ 2016 その19
14:30 佐世保から針尾バイパスを通る
国道202号線に乗り換え山道を進むと・・・遠くに巨大な3本の柱が見えてくる。
針尾送信所
針尾送信所(はりおそうしんじょ)は、長崎県佐世保市の針尾島にある海上保安庁の無線送信所である。敷地内にある巨大な3本のコンクリート製の電波塔、針尾無線塔は大正時代より建つ自立式電波塔としては高さ・古さともに日本一である。「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名称で国の重要文化財に指定されている。(wikipediaより)
この電波塔が見えてきたら、間もなく西海橋。西海橋といえば・・・「空の大怪獣ラドン」の舞台となりました。この針尾電波塔も登場します。
劇中の針尾電波塔
気がつけば・・・
西海橋を渡っている
渡りきった所の左側にある 公園に車を止めてみる。
久しぶりに来たぞ~!
15:00 映画と同じアングルで撮ってみる。この橋の下を・・・
ラドンはくぐった!
劇中・実際の西海橋
観光バスが連なって停車していた場所は・・・
公園として整備されていて今は見る影もありませんでした。 西海橋の西側には・・・
新西海橋
更にその向こうには針尾電波塔が見える・・・
長崎ドライブ 2016 その18
12:40 駐車場に戻りサイノス仔ちゃんのエンジンを掛ける。これまた灼熱の地獄のような暑さ。
でも・・・昼飯食って次の場所へ移動するにはちょうどいい時間。駐車場は入庫して2時間以内だったので無料でした。
昼食前にオランダ商館の外観だけでも写真を撮ろうと行ってはみたものの・・・車を止める場所が無く・・・撮影を断念。昼飯を食べる為に街中へもどる。
私は平戸に来たならぜひ食べたいものがあった。それは・・・あごだしラーメン
有名店が生月島へ渡る橋の近くにあるのですが、時間が無いので平戸市内で食べようと2店ほど目をつけていた。市内を走って間もなくお店を発見!!
しか~し・・・どちらの店も駐車場がなく周辺を廻ってもコインパーキングすら無い。 30分ほどぐるぐる廻って目を皿のようにして車を停める場所を探しましたが・・・
限界
13:10 諦めて・・・
とりあえず佐世保へ・・・
平戸大橋を渡って・・・
九州本土に再上陸
佐世保に到着するまでに何か食う場所があるだろう・・・
・・・と思っていたら甘かった。 何もない山道を通った後・・・
西九州自動車道(無料区間)
・・・を走り・・・
気がつけば佐世保市内
佐世保市内も駐車場があるレストランは見つからず・・・倉庫街のような所を迷っていたら港に出た!
自衛隊の船が停泊
かっちょええ~
長崎ドライブ 2016 その17
廊下にそって絵巻が展示されていました。
平戸から江戸までの道のりを描いたもの
筑前 福岡です。
中央のさいふ天神は太宰府天満宮のことですね。
この横に着物やら鎧兜をつけて記念撮影できるポイントがあったので・・・
思わず兜をかぶってダースベイダー
↑facebookにアップした写真。これを見た人が引いた画像が見たいといっていたので・・・
見よ!!このアンバランスさ!
大砲などが展示された後は
お土産屋さんがあって・・・終了~!
展示場の出入り口の前に休息所があって、道を挟んだ向かいに・・・
喫茶 眺望亭
靴を脱いであがります。
喫茶と言ってもお店ではなくて・・・
アンティークな家具を見学する所です。
眺望亭からの眺望
これにて松浦史料館終了~! 松浦史料館公式HP
周辺には色々史跡や名所がありそうなので少し散策。外に出ると夏の日差しが容赦なく照りつける。そんな中、「寺院と教会が見える風景400m」の案内板が・・・
ちょっと遠いけど行って見るか!歩いていると・・・
六角井戸
明(中国)の海商、王直は1542(天文11)年松浦家25代隆信(道可)の優遇を得て平戸に居を構え、ここを拠点として貿易を行い、多くの明商人が平戸に定住した。この井戸はその当時、明の様式で作られたと言われ、六角の石柵で囲まれているのが特徴である。(案内板より)
大蘇鉄
江戸時代初期の平戸にはオランダ・イギリスの東インド会社による貿易の窓口が置かれていた。樹齢400年になるかと思われるこの大蘇鉄は、当時の貿易商、川崎屋の庭に植えられていたものであるという。(案内板より)
更に歩き続けて・・・絶望的に長い階段の先を差して”寺院と教会の見える風景、この先”・・・とあった。この時点で汗だくでヘロヘロ・・・
よし!ここは・・・
あきらめて、駐車場に戻ろう!
長崎ドライブ 2016 その16
これまた雅な金屏風
山水螺鈿中央卓
その先、キリスト教関連の展示
(左)受胎告知柄菓子鉢 (右)宇義的・実践的聖書釈義・Ⅲ出エジプト記上(1746年) 宇義的・実践的聖書釈義・Ⅳ出エジプト記下(1748年)
高札 天和3年
天和3年(1683)に出された高札。この高札は、キリスト教禁制下の中、民衆からのキリシタン密告を奨励するものであり、高額の賞金が掲げられた。(案内板より)
踏絵之図
更に進む・・・孝明天皇御下賜品
御所人形
公卿、大名間に贈答品として用いられたそうです。
猿にゃ~にゃ
わんわんお!
十二支人形でした
私の干支があったけど・・・
こんなの真っ暗な部屋にあったら小便ちびるよ!www
長崎ドライブ 2016 その15
鎧兜
その両脇に立派な屏風がありました。
狂獅子図屏風
江戸時代初期の幕府御用絵師であった狩野探幽(1602~1674)の筆として、松浦家に伝わった。東京・浅草の松浦邸において大正天皇の台覧に供している。(案内板より)
その横には見事な水墨画3点
梅日・布袋・竹月(三幅対)
松浦家伝来、狩野常信(1636~1714)の作品。常信は探幽以来の狩野様式を集大成し元信、永徳、探幽とともに狩野四大家の一人と言われる。(案内板より)
金と漆で装飾された馬具
山鹿流備立図
寛永8年(1796)の山鹿流による備立の図。総勢約700名にのぼる備立の様子で、中心付近には厳重に守られた総大将が描かれている。(案内板より)
(左)鬢台(化粧品入れ)螺鈿細工が美しい!(右)犬箱(一対)犬箱は枕元に設置して守り刀を収納していたそうです。
奥の突き当りの部屋に・・・これまたでっかい屏風!
長篠・小牧長久手
合戦図屏風
文政12年(1829) 平戸藩9代藩主 松浦静山(清)が、犬山城(愛知県)城主成瀬家から借用模写したもの。長篠合戦は天正3年(1575)織田・徳川連合軍と武田勝頼の合戦の様子を描く。小牧長久手合戦は天正12年(1584)の豊臣秀吉と徳川家康との合戦を描く。(案内板より)
巨大な屏風の後はガラスケースに入った浮世絵
生月鯨太左衛門絵巻
生月鯨太左衛門(いつき・けいたざえもん:1825~1850)は、その名前からわかるように平戸島の西側に位置する生月島の出身である。身長は227cm、体重は180キロあった。その体格から、大阪、京都、江戸より相撲界に入るよう要望があったが、鯨太左衛門とその父は最初応じることはなかった。天保12年(1841)説得に応じて玉垣額之進に入門して人気を得たが、1850年に24歳で没した。巨大な体格は浮世絵師の題材となり多く絵師が錦絵を描いている。(案内板より)
在日蘭貿易絵巻 広渡湖秀 筆 長崎の出島の様子を描いた作品。
長崎ドライブ 2016 その14
その先から本格的な展示になります。
展示場(千歳閣)
三勇像
天保11年(1840)某日、水戸藩主・徳川斉昭は、松浦静山、下野黒羽藩主・大関増美、信州松代藩主・真田幸貫の三人を屋敷に招き、内藤業昌に命じて描かせた。
画中右端が八十一歳の静山であるが、眼光鋭く一世を風靡した風格が描き出されている。斉昭はこれら三人を天下の三畏友と称した。画像上部に儒学者、佐藤一斎の賛がある。(案内板より)
河太郎并図
平戸城下の古地図
百物語化物図
松浦静山が平戸城内に設置した楽歳堂に所蔵された資料。(案内板より抜粋)
鳥獣戯画もそうですが、これぞ日本漫画の原点のようで非常にユーモラスです。
伊能図 九州全図 (小図) 文政4年(1821)版
伊能図は、沿岸を描くものであるが、本図は九州内陸まで描かれた貴重なものである。江戸時代の街道が朱線で内陸部に記入され、目印に用いた半島先端や高山の方位が書き込まれている。(案内板より)
松浦家家紋入古旗
(長崎県指定有形文化財) 16世紀 松浦家第二十五代隆信(道可)の時代に使用されたと考えられる船幟で、松浦家の家紋である三星・梶葉・二引両が染め出されている。(案内板より)
(左)関船模型 (右)唐船之図
古来、南蛮貿易で栄えた藩だけあって、外国船の資料もしっかりと残しておいてたようです。シャム(今のタイ)船は1間につき8分の割合縮尺が正確に行われたものが残っているそうです。
長崎ドライブ 2016 その13
突き当りにあるのが・・・
松浦史料博物館
松浦史料博物館は、昭和30年(1955)10月再会国立公園の指定と前後し、松浦家39代 陞(すすむ)氏により資料等を寄贈され設立されました。建物は鶴ヶ峰邸と称して明治26年(1893)に建てられた当主の私邸であったものです。(県指定有形文化財)
博物館周辺地域は、鎌倉時代の平戸松浦氏の本拠地です。また、オランダ・イギリス貿易時代は藩主の邸宅が置かれており、ウイリアム・アダムズをはじめ各国の要人が出入りした歴史ある場所です。(リーフレットより)
(左)絶望的に伸びる石段 (右)松浦氏第28代当主にして肥前平戸藩第3代藩主。松浦隆信像
登り切ったところにある立派な門をくぐると・・・
到着~! 敷地内の案内図がありました。
玄関
元々藩主の邸宅なので靴を脱いであがります。入り口でチケットを購入!史料館とオランダ商館との共通チケットは650円ですが・・・今回は
史料館のみ大人510円購入
念のため撮影可能か確認を取ると、フラッシュを焚かなければOKとの事。いきなり目に飛び込んできたのは・・・
乗り物
天保2年(1831)丹波篠山城主青山家の息女イサ姫が、平戸藩主松浦家に奥入れの際の婚礼道具の一つ。大変華麗な乗り物である。(リーフレットより)
阿弥陀仏
恵心僧都(僧源信)作 942-1017年
平家一門の守り本尊として安徳寺の御生母建礼門院が特に信仰せされたと伝えられる。(案内板より)
長崎ドライブの様子をアップ中ですが・・・
エアバッグの警告灯が点きっぱなし・・・と言うだけで車検が通らない、愛車サイノス仔ちゃん。エアバッグの機能を取っ払えば警告灯も消えて車検も通る。もう一度車を預かって見てみたい・・・という事で、本日、トヨタの工場へ持っていきました。
担当サービスの話では・・・交換部品を再生産する事も可能だが、部品だけで20~30万円かかる上、納期もわからない。エアバッグのユニット取り外しだけ(+ハンドル交換の可能性あり)だったら5~6万円、工期も早く車検もすぐ通る・・・という事で、エアバッグ取り外し一択になりました。
とりあえず7日(水)まで預ける・・・という事で、代車借りてきました。車種はプレミオ。これがビカビカの新車で・・・メチャクチャ良い!
車内も広くて快適・・・
・・・なんですが、乗りなれてないせいか・・・ハンドル(パワステ)が軽すぎるし、アクセルペダルもやたら軽くて、気が付けばあっという間に法定速度超えてしまう。こりゃ年寄りが乗ったらブレーキとアクセル踏み間違えて建物に突っ込むのもわからなくもない。
どうにか自宅まで戻って・・・車の大きさがわからないので車庫入れが大変!
長崎ドライブ 2016 その12
スマホのナビに次の目的地を入力し、とりあえず向かうと・・・近くに港で一番大きな有料駐車場がありました。
11:45 とりあえず入庫
駐車場の時計台
入庫後2時間は無料 なんと良心的!
遠くにさっきまでいた平戸城天守閣が見える。綺麗に整備された歩道に、お土産屋さんが並ぶ道を歩く・・・
道沿いにはオブジェが・・・
(左)リチャード・コックス (右)ヤックス・スペックス
リチャード・コックス(Richard Cocks、1566年1月 - 1624年)は、ステュアート朝イングランド(イギリス)の貿易商人。スタフォードシャー州・ストールブロックの人。江戸時代初期に日本の平戸にあったイギリス商館長(カピタン)を務めた。在任中に記した詳細な公務日記「イギリス商館長日記」(Diary kept by the Head of the English Factory in Japan: Diary of Richard Cocks, 1615-1622)は、イギリスの東アジア貿易の実態や日本国内の様々な史実を伝える一級の史料である。(wikipediaより)
ヤックス・スペックス(Jacques Specx、1585年 ドルトレヒト - 1652年7月22日アムステルダム)は、オランダの商人で、1609年に平戸にオランダ商館を設立し初代(及び第3代)の商館長となった人物。1629年から1632年にかけて、バタヴィアにおいてオランダ領東インドの総督を務めたが、そこで娘のサラのスキャンダルに巻き込まれている。オランダ帰国後は絵画の収集家となった。(wikipediaより)
通りの真ん中あたりに・・・
平戸温泉より引いてきた、うで湯、あし湯がありましたが・・・あまりの暑さに入る気しねぇー!www その横に・・・
藤浦 洸 歌碑
戦前~戦後に活躍した平戸出身の作詞家、藤浦 洸(ふじうらこう)の歌碑です。碑には「平戸のうた」の歌詞が刻まれています。
私はこの人初めてしりましたが、調べてみると・・・代表曲に美空ひばりの「東京キッド」やCMソングの「キンカンの唄」そして、誰もが一度は夏休みの朝歌った「ラジオ体操」の歌も藤浦氏の作品だそうです。更に歩くと・・・再びオブジェ
(左)ウィリアム・アダムス(中)フランシスコ・ザビエル(右)王直
ウィリアム・アダムス (William Adams, 1564年9月24日 - 1620年5月16日(元和6年4月24日))は、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士・水先案内人・貿易家。三浦 按針(みうら あんじん)の日本名でも知られる。(wikipediaより)
フランシスコ・ザビエル (スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日[1])は、ナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。(wikipediaより)
王直 または汪直(おうちょく、生年不詳 - 嘉靖38年12月25日(1560年1月22日))は、中国の明代の貿易商人(海商)で、後期倭寇の頭目。王直はあだ名で、本名は王鋥(おうとう)[2]と言い、五峯(五峰)と号し、徽王や老船主とも称した。(wikipediaより)
ウィリアム・アダムスは米ドラマ「将軍」
のモデルになっていましたね~!懐かし~!!
長崎ドライブ 2016 その11
中山愛子像を左に見て歩くと正面に・・・
神楽殿
そして左を見ると・・・
亀岡神社
現在の建物は、亀岡城内の別の場所にあったものを移転したもので、1880年建築落成した。10月24日から27日の4日間「平戸くんち」が行われる。境内には中山愛子(平戸藩主松浦清(静山)の娘で中山忠能室、明治天皇外祖母)の像がある。社宝の「環頭の太刀」は、国の重要文化財に指定され平戸城に展示されている。(達人Navi平戸より)
参道を歩く・・・
手水舎
楼門と奥に拝殿 この時点で暑さでバテバテ 軽く参拝した後、なかを歩く気力もなく・・・神社横に止めていたサイノス仔ちゃんへ・・・途中
絵馬が奉納されていた
平戸城天守閣で中国人観光客団体とすれ違いましたが、さすがにこの神社までは来てないらしく、最近多い外国語での奉納絵馬は一切なく、日本語ばかりでした。
どうにかサイノス仔ちゃんに乗り込むも・・・車内は猛烈な暑さ。
死にそうになりながら・・・発車!
長崎ドライブ 2016 その10
来た道を戻る事にする・・・
北虎口書院の横にある井戸
この大きな石碑は
日本最初たばこ種子渡来之地
慶長6年(1601)日本で迫害を受けるキリスト教徒を救出するため、フィリピンからフランシスコ会のヒエロニムス・デ・カストロが平戸に到着しました。 この時カストロは、領主松浦鎮信(法印)にタバコの種を贈呈しています。 これを記念して「日本最初 たばこ種子渡来之地」の碑が城内に建立されています。(平戸城公式HPより)
大変お世話になってます
脇道に急な石段があったので登ると・・・
地蔵坂櫓
この櫓は有料エリアの外にあるにもかかわらず「入場券」が必要と案内されていましたが、実際は入場券をチェックする人は誰もいませんでした。入口を入るとセンサーが感知して”いらっしゃいませ”と言うので少しびっくりした。(笑)
中には古い農機具等が展示されています。
2階の展示
格子窓から外を見る
乾櫓(現在は売店)の中をちょっと冷やかす。売店の隅に鯨関連の資料がほんの少し展示してあるだけで、かなり高齢の店員(笑)が先に着ていた観光客相手にお茶を飲みながら世間話をしてました。
外に出て亀岡神社方面へ歩くと・・・
中山愛子像
明治天皇の生母中山慶子の母で、平戸藩主松浦清(静山)の11女。姉季子の夫中納言園基茂の養女となり、大納言中山忠能と結婚し1835年2女慶子を出産する。慶子は1851年宮中に出仕し、翌年9月皇子祐宮(後の明治天皇)を生む。愛子は夫とともに祐宮の養育につとめ、明治12(1879)年明宮(後の大正天皇)が誕生すると明宮の養育にあたる。(達人Navi平戸より)
この先、亀岡神社。これにて平戸城終了~!
長崎ドライブ 2016 その9
天守閣をバックに自撮
案内の無い石碑
本丸門に戻り・・・石垣の間を歩く・・・
入場券を売っていた場所は 北虎口書院と言う建物でした。ここから右側にあるのが・・・
北虎口門 宝永3(1706)年建造 工費銀8貫769769匁
石垣と石垣の間に乗った「渡櫓」様式で、城内に現存する唯一の木造遺構。藩主の私邸(棲霞園)に最も近く、二の丸御殿(現・亀岡広場)への通用門でもあった。(リーフレットより)
内側から見る・・・
がっちりと組まれた石垣
風情のある石垣が続きます・・・
長崎ドライブ 2016 その8
天守閣の下にはベンチが並べられていて、嬉しい事に灰皿が! ここで一服しながらfacebookをチェックしていると、来る間にアップした動画や写真に意外と反響があって嬉しい!ベンチの向かいに小さな建物が・・・
休息所
11:00 中は冷房が効いていて涼しい!
パネルで平戸島の紹介
しばし涼んで・・・天守閣の右奥へ・・・
側面を見上げる・・・
石垣の横を歩くと
見奏櫓があります。
1階の展示
(左)中野窯の陶磁器 秀吉の朝鮮出兵の際、連れて来られた朝鮮陶工が開いた中野窯というのがあって50年この地にあったそうです。(右)伝高麗墓副葬品
(左)日本刀の鍔 (右)火縄銃手入れ道具箱
(左)火縄銃 (右)陶製の人形
2階の展示
中央に立派な焼き物があります。
伊万里鍋島焼「色絵桜樹文瓶子」
(左)なんとも可愛い!雌雄おしどり絵大皿(右) 白磁の香炉 網目が素晴らしい!
(左)白磁細工龍花瓶 (右) 色絵鶴置物
瑠璃鉄釉縁起物根付
長崎ドライブ 2016 その7
先ほど通った平戸大橋
(左)聖フランシスコザビエル記念教会 (右)周囲のお寺群 この周辺が寺院と教会が見える風景として観光名所になっています。後で体力と時間があったら(笑)行って見よう!
平戸オランダ商館
1609年(慶長14年)、オランダとの正式国交が開けた時に平戸に設置され、ヤックス・スペックスが初代商館長となった。民家72戸分を立ち退かせて建設した。1628年にタイオワン事件で一時閉鎖されたが、1632年に再開。しかし1640年、建物の破風に西暦年号が記されているのを口実に江戸幕府はオランダ商館の取り壊しを命じ、当時の商館長フランソワ・カロンがこれを了承、1641年に長崎の出島へ移転した。以後、幕末に至るまでオランダ船の発着、商館員の居留地は出島のみに限定された。(wikipediaより)
このオランダ商館、アジア各国に設置されて平戸にできた同じ年にタイのアユタヤにもできたそうです。
平戸港フェリー
良く見ると第三フェリー度島(たくしま)と書いてありました。平戸の北沖にある度島飯村を経由して同じく度島本村まで45分で行けるようです。こういうの見たらまた船旅がしたくなる。^^;
黒子島
平戸瀬戸に浮かぶ無人島 1951年「黒子島原生林」として国の天然記念物に指定されているそうです。
見奏櫓
漁港
遠くには風力発電
知らない間に田舎に行くと、この風力発電の風車と太陽光発電のパネルがやたら増えたね~!!
そして・・・出たな!メダリオン!!
一通り見終わって階段を降りていると、中国人の団体とすれ違った。やはり佐世保~ハウステンボスが近いので伝統的な日本を観光する為に来ているんでしょうね~
長崎ドライブの様子をアップ中ですが・・・
長崎ドライブ 2016 その6
最上階(4階)は・・・
展望室です。
北側 平戸港
北東方向 沖に黒小島が見える
更に東側
手前に見える櫓は見奏櫓
南東方向 岩の上町方面
南側 山の手を見る・・・
西側方面
一周回って平戸港
海風が吹いていて気持ちいい・・・
長崎ドライブ 2016 その5
(上)日本刀や大砲 (下)明治天皇と中山愛子にまつわる展示
(左)中山愛子像と明治天皇御行器 (右)明治天皇御七夜産着 突然明治天皇の展示があったので何でだろうと思ってリーフレットを見たら・・・
中山愛子
34代藩主松浦清の大11女愛子は、京都の中山大納言家に嫁いだ。その姫慶子(よしこ)が明治天皇の御生母となる。(つまり、明治天皇の祖母に当たるんですね・・・知らんかった~)
明治天皇御行器
皇子(明治天皇)の健やかな成長を祈って御所より贈られた行器(ほかい)で、毎年正月元旦には、藩主の命により紅白の餅を入れて城下町客屋の床飾りにしていたそうです。
明治天皇御七産着
明治天皇の幼少期は中山家で養育された。この産着は、孝明天皇が皇子祐宮(明治天皇)に贈った物で、中山家から誕生の知らせと共に平戸松浦家へ贈られてきた。
松浦家にまつわる品々と・・・
忘れてはならない、平戸と言えば禁教時代、隠れキリシタンの里の一つ。
キリシタンにまつわる展示もありました。・・・そして↓何だ?このモリゾーみたいな奴www
毛槍
尾長鶏系の羽毛を植えた毛槍で現在亀岡神社例大祭で城内・城下へ繰り出すそうです。
北虎口門扉
宝永4年(1704)、築城当時の物で、北虎口門のくぐり戸であった。この門は、南側の大手門に対し、北側の守りのかなめであった。(案内板より)
展示最上階(3階)には中央に平戸城のジオラマが展示されています。
(左)鯱瓦 迫力あります!
このジオラマの
この建物の中に今いるんですね~
長崎ドライブ 2016 その4
(左)坂を登り・・・(右)本丸門をくぐると・・・
天守閣への石垣
平戸城 天守閣
平戸城 概要 平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。(wikipediaより)
入口で入場券を切ってもらって中に入ると・・・いきなり鎧兜の展示から~
古代の出土品
(左)鐶頭の太刀 神功皇后の朝鮮出兵当時の武将の刀。柄頭を環状にまるめ、水牛の角の鍔、竹を馬革で包んだ鞘を持つ鉄製直刀。※4世紀頃に朝鮮半島から伝えられたと言う。国指定重要文化財(平戸城公式HPより) (右)陶磁器など・・・
遣唐使船
交易品の数々
(左)関帝像 (右)東インド会社(VOC)のマークの入った皿
その他、陶器の破片など・・・
航路図
ヨーロッパからはるばる南米を経て日本へやって来ていたんですね~・・・
長崎ドライブ 2016 その3
平戸公園で一服した後・・・改めて平戸大橋を見ると・・・
でっかいな~!
調べると・・・平戸大橋は1977年4月4日に有料道路として開通 4年の歳月と、56億円をかけて架けられた。 2010年に無料になったそうで・・・そういや、昔来た時は料金所あった!橋は全長665m、トラス吊橋構造で主塔間465.4m、幅10.7m、海面上30mに吊られているそうです。
平戸島を走る・・・
思えば学生の頃、平戸をバイクで縦断した後、社会人になって車で1回来たきり・・・ウン十年ぶりの訪問です。過去に平戸に来たことがあっても・・・平戸城へは行ったことが無かったので行くことにする。ナビの誘導どおり走ると・・・神社の駐車場に迷い込んだ。
10:30 この先が平戸城の敷地のようだ。
平戸城は別名 亀岡城とも呼ばれ二の丸一帯を亀岡公園として整備されています。歩いて行くと・・・
乾櫓 今は売店です。
その先、入場券売場があって・・・
大人510円 入場券ゲット
このチケットで天守閣と狸櫓、見奏櫓、地蔵坂櫓が見られます。有料のエリアに入ってすぐ
狸櫓
中はパネルで平戸城を紹介
狸櫓の伝説
現存の狸櫓には、次の伝説が残っている。櫓の床下に狸が住みだした。天保初年(1830年頃)櫓の修理のため床板を全て剥ぎ取った。するとある夜、小姓に化けた狸が藩主の寝所にやって来て、我ら一族を櫓に棲ませて頂きたい、そうすれば城を永代守護すると嘆願したので、翌日、床を元通りに戻してやったという。これ以後、この櫓は狸櫓と呼ばれるようになった。(wikipediaより)
城内図
狸櫓の先の塀に穴が空いていて・・・案内板には・・・
この塀には山鹿流秘伝書の「築城書」に見える「二重の狭間」の技法が使われていました。塀の石垣には鉄砲窓(狭間)が空けられ、さらに、白塀にも狭間があったようです。なぜここが「二重の狭間」になったかというと、この塀の北側(山側)は海側の防御施設が乏しく、海から登ってきた敵が、この塀を超えると、本丸、二の丸が分断されるため、防御を固めたと思われます。
・・・とありました。
長崎ドライブ 2016 その2
9:10 通り沿いにあったファミリーマート
伊万里浦之崎店で一服
今回、新たな試みとしてfacebookで運転中のネット動画配信をやってみようと密かに計画。ファミマの駐車場でセッティングして、いざ出発!運転中のスマートフォン操作は危険なのでとりあえず次の信号で止まるまで流しっぱなしにすることにした。
運転しながら状況を話しみるも・・・
田舎なので電波の状態が悪く、スマホ画面に次々と”電波が届かない”というメッセージが流れる。実際生で見ていた人はタイ人が1~2人。多少リアクションがあったのが面白かったのですが、もっと面白かったのは完全に配信が終了した後の日本人の友だちの反響! 生配信時、周囲の交通量は少なく、運転に影響ない程度にスマホをチラ見していたのですが・・・前を見て運転していない、あぶない等ご指摘があり、ご心配をかけてしまいました(笑)
ネット配信終了後・・・目の前に海が広がった!
松浦市今福という場所 遠くにはモンゴル村のある鷹島が見える。そのまま
唐津街道を走ると・・・
10:00 いきなり巨大な橋が目に飛び込んでくる。平戸大橋だ!!本当は橋を渡る前に橋の全景を撮影したかったのですが、撮影ポイントへ車を停めるタイミングを失って・・・
あれよあれよと・・・
橋を渡ってしまった。橋を渡りきった後に・・・
平戸公園に入って・・・
どうにか橋の全景を撮影
1日目 8月24日(水) 巷ではお盆休みも終わり続々とタイへ行く人、帰ってくる人が続出。私といえば盆休みもなく今月唯一の2連休がこの日からスタート・・・と言う事で、気晴らしに泊まりがけで長崎へドライブに行こう!ということになりました。
7:30 玄関までお見送りに来てくれたモカちゃん・・・
そっぽ向いて知らん顔していましたが、いざ出発するとなると・・・
<本当に行くと~?
上目使いで、ちょっと寂しそうな顔
愛車サイノス仔ちゃん・・・
先日車検の為、工場に持って行ったらエアバッグの警告灯点灯で車検通らず。今月31日ディーラーに見せて修理不能と診断されたら廃車 (9月3日現在、エアバッグのユニットそう取り替えで車検を通すかどうか保留中)
これが最後のドライブになるかもしれない・・・と思うとちょっと悲しい。
今日は午前中をかけて平戸へ行きます。
7:45出発 本当は前日(24日)の仕事が終わったら即出発して、唐津あたりで一泊したかったのですが、ホテルが満室で、仕方なく休み当日の出発となってしまいました。時間が無いので、一気に高速を使うことにします。
先ずは最寄りの都市高ランプから福岡都市高速に乗る・・・
荒津大橋を渡ると・・・
ヤフオク!ドームや・・・
シー・ホークホテル等、百道浜エリアが見えてくる
福重JCを経由して福岡前原道路~二丈浜玉道路を通る・・・ふと外を見ると・・・
海が見えてきた!
唐津まで来て
スマホのナビに従い
西九州自動車道(唐津伊万里道路)を走行、南波田谷口ICで降りる。
その後は一般道をテレテレ走る。
9:00 伊万里湾大橋
川沿いを走り・・・
その先、国道204号線に入る。
サイノス仔ちゃん
今年に入って7月まで台風が発生しなくて異常気象だ~とか言っていたのに、その後バタバタ発生した後・・・変なルートを通り観測史上初めて、太平洋側から東北地方に上陸した台風10号の記憶も新しい今日この頃・・・
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