松浦史料博物館は楽し part3
長崎ドライブ 2016 その15
鎧兜
その両脇に立派な屏風がありました。
狂獅子図屏風
江戸時代初期の幕府御用絵師であった狩野探幽(1602~1674)の筆として、松浦家に伝わった。東京・浅草の松浦邸において大正天皇の台覧に供している。(案内板より)
その横には見事な水墨画3点
梅日・布袋・竹月(三幅対)
松浦家伝来、狩野常信(1636~1714)の作品。常信は探幽以来の狩野様式を集大成し元信、永徳、探幽とともに狩野四大家の一人と言われる。(案内板より)
金と漆で装飾された馬具
山鹿流備立図
寛永8年(1796)の山鹿流による備立の図。総勢約700名にのぼる備立の様子で、中心付近には厳重に守られた総大将が描かれている。(案内板より)
(左)鬢台(化粧品入れ)螺鈿細工が美しい!(右)犬箱(一対)犬箱は枕元に設置して守り刀を収納していたそうです。
奥の突き当りの部屋に・・・これまたでっかい屏風!
長篠・小牧長久手
合戦図屏風
文政12年(1829) 平戸藩9代藩主 松浦静山(清)が、犬山城(愛知県)城主成瀬家から借用模写したもの。長篠合戦は天正3年(1575)織田・徳川連合軍と武田勝頼の合戦の様子を描く。小牧長久手合戦は天正12年(1584)の豊臣秀吉と徳川家康との合戦を描く。(案内板より)
巨大な屏風の後はガラスケースに入った浮世絵
生月鯨太左衛門絵巻
生月鯨太左衛門(いつき・けいたざえもん:1825~1850)は、その名前からわかるように平戸島の西側に位置する生月島の出身である。身長は227cm、体重は180キロあった。その体格から、大阪、京都、江戸より相撲界に入るよう要望があったが、鯨太左衛門とその父は最初応じることはなかった。天保12年(1841)説得に応じて玉垣額之進に入門して人気を得たが、1850年に24歳で没した。巨大な体格は浮世絵師の題材となり多く絵師が錦絵を描いている。(案内板より)
在日蘭貿易絵巻 広渡湖秀 筆 長崎の出島の様子を描いた作品。
« 松浦史料博物館は楽し part2 | トップページ | 松浦史料博物館は楽し part4 »
「ドライブ」カテゴリの記事
- 油山も~も~ランドに行ったったwww part10 最終回(2016.10.30)
- 搾乳体験を冷かして・・・(2016.10.30)
- 牛と戯れる②(2016.10.30)
- 牛と戯れる①(2016.10.30)
- 乗馬体験場~レストランで飯食ったwww(2016.10.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント