長崎市 崇福寺に行ったYO! part3 護法堂 鐘鼓楼
長崎ドライブ 2016 その37
大雄宝殿の向かいに・・・ずらりと並んだ祠の奥
護法堂 (重要文化財)
享保16年(1731)の建立。軸部は明らかに唐工匠の製作であるが,屋根回りは日本寺院風の様式で,日中工匠の合作かと思われる。平面計画の柱割りは特異で,黄檗(おうばく)宗天王殿の形式に類似する。切組みの唐匠も最初はそれを意図したが地形上左右通り抜けの中門,いわゆる天王殿形式とするのが不可能となり,大雄宝殿と対面する普通の仏堂となったものではなかろうか。
天王殿であれば,布袋(ほてい)(弥勒)(みろく)と韋駄天(いだてん)を中央部背中合わせに安置するが,ここでは中央に観世音(もと禅堂に祀った)向って右に関帝,左に韋駄天を安置する。観音堂・関帝堂・天王堂などと呼ばれたのはそのためで,扁額の「護法蔵」の文字から護法堂という。黄檗天井・柱上部藤巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(おうぎだるき)・半扉(はんとびら)など,皆黄檗様式の特徴である。柱の沓石(くついし)の梅花奇獣の浮彫りも,唐工匠の手になる見事なもの。(長崎県庁HPより)
右から
関天堂
関聖帝(関羽)が祀られています
護法堂には面白い伝説が残されている。関帝像前に食べ物を供えるとよくねずみに食べられるので、ある日即非和尚は関帝像をせめて右の頬を打つと頬の部分が剥げてしまった。だが翌朝見ると韋駄天の剣にねずみが刺し抜かれていて、まるで関帝の命令で韋駄天がねずみ退治をしたようだったという。和尚もこれには驚き、修理をさせたが剥げた部分にいくら漆を塗っても上手くいかず、今もその跡が残っているというのだ。(長崎公式観光サイトあっと!ながさきより抜粋)
そう言われると右頬が・・・
中央には・・・
観音堂
観音菩薩が祀られる
左に
天王殿
葦駄天が祀られています
涼しげな目元のなかなかの美男です
鐘鼓楼 (重要文化財)
重層の上階に梵鐘を吊り、太鼓も置いてあり、鐘楼と鼓楼を兼ねている。創建は、1647年頃とされている。その頃は寺の最南隅にあり港の唐船から媽祖門、媽祖堂がよく見えたという。現在の鐘鼓楼の位置には大釜が置いてあり、1728年(享保13)、現存の鐘鼓楼が再建されたときに現在の場所に移っている。
1728年(享保13)の年号と木匠荒木治右衛門の墨書がある。上層は、梵鐘や太鼓の音を拡散させるために、丸窓・火燈窓等の開放された開口部が多い。(長崎観光情報「ここは長崎ん町」より)
梵鐘 (重要文化財)
梵鐘は、1647年(正保4)鍛冶屋町の初代鋳物師阿山助右衛門の作。長崎市内の寺院の梵鐘を6個鋳造しているが、今ではこの鐘だけが残っている。
鐘銘に当時の檀越名と寄進額が刻まれてあり、29名、554両に上がっている。(長崎観光情報「ここは長崎ん町」より)
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