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2016年9月12日 (月)

諫早公園 その2 山城に登ってみる

長崎ドライブ 2016 その55

Cimg8247 Cimg8248

(左)諫早公園物語 その昔・・・諫早公園の山は、山城だった!
時は戦国時代。伊佐早地方(諫早市)を初めて統一した西郷尚善は、町にある小高い山にお城を築いた。山の北側は本明川を天然の堀とし、南側の絶壁の下に空堀や土塁を作り二重三重に守りを固めた。そのお城は、山の地形を巧みに使った山城であった。その山城は高城と呼ばれ、別名、亀城とも呼ばれた。その後、天正15年(1587年)豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は、龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められて高城を追い出された。それからは諫早家の高城になるが、江戸時代になると「一国一城令」がだされ、高城は姿を消した。そして時は流れ大正12年(1923年)ツツジが植えられてみんなの憩いの場として諫早公園が生まれた。(案内板より)

(右)国指定天然記念物 諫早市城山暖地性樹叢(案内板)
 諫早公園内にある城山は、周囲約1km、標高50mの丘陵であり、西郷氏が高城を築城した地でもあります。別名「亀城」とも称され、国の天然記念物であるこの地の樹叢は数十種よりなり、ミサオノキ、クスノキ、ハマセンダン、オガタマノキ、ホルトノキ、ヤマモガシなどの巨樹が生育しています。特にヒゼンマユミは明治39年に千葉常三郎が発見し、大正2年牧野富太郎が学会に発表しました。
ニシキギ科に属する常緑樹でみかんの葉に似た端をもち、四稜形の黄熟した果実をつけ、果皮が裂けて赤い種子を見せています。また「市の木」にも指定されました。(ながさき旅ネットより)

うむ!ここまで書かれていたなら・・・一度登ってみるか!午前中猛暑と地獄のような階段でヘロヘロになっていたけど・・・最後の力を出して登ることを決意!先ずは緩やかな階段が続く・・・

大手門 Cimg8249

ここは、山城の表口だった。本丸へ通じる虎口に設けられた門があったところで、敵の侵入を防ぐために厳重な作りだったと考えられる。(案内板より抜粋)

Cimg8251 折坂虎口

虎口とは、城内への出入り口のことである。「小口」とも書き、狭い道という意味もある。敵と城兵の激しい攻防が繰り広げられた危険な場所だった。この場所は攻め上る敵の勢いを無くすために、地形を利用した狭く急な坂と、曲がり角の両方の仕組みとなっている。こうした構造から折坂虎口といった。(案内板より)

Cimg8253 Cimg8254

更に登っていると・・・・

Cimg8255_2 ミサオノキの案内板

だんだん坂が急になって来る・・・

wobblyうっへぇ~きつい~shock Cimg8258

すると・・・踊り場のように小さな広場があった。

Cimg8259_2 東の丸

城兵は、大手門から攻め登る敵をこの場所で待ち受けていた。ここは、敵を頂上の本丸へ行かせないための広場だった。本丸の防衛や物見などの目的で作られた。(案内板より)

この東の丸の広場の隅に銅像がありました。

Cimg8262 Cimg8261

木下吉之丞 調べると・・・
安政6年(1859)~昭和4年(1929) 21歳で小野村村長 25歳で長崎県議会議員当選。明治38年 島原~諫早間の鉄道敷設 同42年に開通し島原鉄道 初代専務取締役に就任。その他、様々な工場、学校や研究施設も誘致した・・・いわば・・・地元の名士やね!

Cimg8264 Cimg8265

さぁ・・・あと一息! こんな急な階段や坂があるのに子供たちはポケモンGO!をやりながら走って登っていく・・・元気いいねぇ~

Cimg8266 虎口

この虎口は、本丸へと進む最後の出入り口である。敵との攻防の重要な場所になるため、厳重に守られていた。この虎口の下の石段は、狭くて急な坂にすることで、敵の勢いを止め、攻撃もしやすい造りになっていた。石段の側面の上は、登ってくる敵を横から弓矢などで攻撃できる横矢掛りといわれる場所になっていた。人の目は、顔の正面についているので、横からの攻撃に弱いのである。また、本丸にあるお城が簡単に目に入らないようになっていたと考えられる。(案内板より)

そして・・・ついに・・・

happy01登り切った!happy01Cimg8268

登り切ったところにあった案内板には・・・

高矢倉
この頂上には、高矢倉が四方にあったと考えられている。敵を弓矢で攻撃するため、また、見張り台として用いられていた。龍造寺家晴(初代諫早家)は、高城を手に入れるために桜馬場まで攻め込んだ時、高城の様子をこう述べている。

「高城の上に四方に高矢倉有りて、数多の矢狭間これあり。麓より上に至りて植木一本もこれなく、見すかしたる城なり」

高城の頂上には高矢倉が四方にあり、高矢倉から高矢倉の間は高い塀に囲まれていた。塀には、弓矢を打つために開けられた小窓(矢狭間)が多く造られていた。また、麓から頂上にかけて植木が一本もなく、よく手入れされた山城だった。当時の山城は、木が生い茂っていると守りにくく攻めやすいお城とされていた。(案内板より)

Cimg8269 頂上で一際目立っていた

中央付近に・・・

Cimg8270 巨大な楠の木

これだけ立派な大楠で、諫早公園の名物らいいけど、案内等が一切なかったのが・・・なんとも寂しい。

つづく

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